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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<無の肯定

「問題は、以下のことである。わたしは、もう何年もまえのある日、ひどくもの悲しい思いでラウレンツィベルクの斜面に腰をおろしていた。自分が人生に対して抱いているさまざまな願望を点検してみたのである。最も重要、というより最も魅力的な願望だということになったのは、あるひとつの人生観を得たい(そしてもちろん──これと必然的に結びつくところの──それを文章にして、自分以外の人びとにも信じさせたい)という願望であった。この人生観においては、人生は相変わらずその重苦しい自然の落下と上昇をともなうが、しかし同時にそれに劣らぬほど明晰に、無として、夢として、浮遊として認識されるはずである。これを正しく願望していたならば、あるいは美しい願望であったかもしれない。正しく願望するとは、たとえば、おそろしく几帳面な職人的熟練でこつこつハンマーを使って机を組み立てていながら、同時に何もしていないかのように願望することである。それも「机を組み立てたことは、彼にとって何もしないに等しく、無である」と人びとから言われるのではいけない。そうではなく、「机を組み立てたことは、彼にとってほんとうに机を組み立てたのであって、しかも同時に無である」と言われるようでなければならない。それによって職人仕事はさらに大胆に、さらに決然と、さらに現実的に、そう言いたければさらに気違いじみたものとなったであろう。しかし、わたしは、まったくそのように願望することはできなかった。というのは、わたしの願望は願望と言えるようなものではなかったからである。それはただ無を弁護し、非存在に市民権を与え、無に一抹の快活さを与えようとすることでもあった。当時、無と非存在のなかに意識的な一歩をほとんど踏み入れていなかったけれども、すでに無を自分の生の構成要素だと感じていたのである。」
(カフカ「〈彼〉」)
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