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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<正義は負ける

「ブラジヤックは同時代の作家のなかでも、マルローに対してひときわ強い敵意をもち、何度となく書評記事や「ジュ・スイ・パルトゥ」の論説で非難を浴びせたが、その原因が知識人としての共産党への加担と、フランス人民戦線政府のスペイン人民戦線政府への支援にあたってマルローが果たした役割の大きさによるものであるのは間違いないだろう。ブラジヤックにとってスペイン戦争はどちらにしても大義のある戦いではなかった。マルローにおけるコミンテルンの大義への過信を批判したのと同様、かれはファシズムもフランコも、教会も信じてはいなかった。ベルナノスが『月下の大墓地』で書いたような蛮行、大量虐殺をフランコ軍がおこなっているのも知っていたし、ナチス=ドイツのコンドル部隊によるゲルニカの爆撃も知っていたのである。しかしまた人民戦線の側にも大義があるようには思われなかった。人民戦線の側で戦ったシモーヌ・ヴェイユが証言しているように、スペイン戦争は「捕虜のない戦争」であり、アナキストたちは投降したフランコ軍兵士をかたはしから処刑していたし、僧侶と教会にはいっさいの留保なく攻撃が加えられ、あまり教会を焼き討ちにしすぎて軍用車を動かすガソリンが不足するほどだった。共産党にいたってはフランコ軍だけではなく、人民戦線内部での主導権争いのために社会主義者やアナキストにまで粛清を加えていた。そこには、酷薄さにおける程度や性質の差はあっても、絶対的違いは存在しなかった。そのためにブラジヤックは、みずからが関わった血まみれの惨劇をコミュニズムの大義において正当化するマルローが許せなかったのである。
 どちらにしろこの戦争は殺し合いの地獄であり、どの陣営にも「大義」などありはしなかった。ブラジヤックによるならば、この戦いに「希望」があるとすれば、それはいかなる党派の大義やイデオロギーでもなく、この「地獄」そのもの、血まみれの殺し合い、それ自体にほかならなかった。ブラジヤックはもちろん、流血を望んだわけではないが、しかし古い価値が没落しつつあるヨーロッパにおいて戦いは避けられないものであり、そしてその戦いからしか未来は生まれえないと無理にでも考えたのである。そしてブラジヤックはすすんでみずからが生きる破壊と殺戮の時代を受け入れ、否定するのでも、逃亡するのでもなくこの「地獄」を受け入れ、そこからうまれくる価値をみつけようとした。そしてファシズムとは、政治によって戦いの無残さを正当化し、政治的目的のためにすべてを犠牲にする左翼的政治第一主義とは異なって、個人の意志でその悲惨を受けとめて戦いそのものに価値を見出す思想、目的のために行動の本質を従属させることをしない、衝動と享受の、ブラジヤック的な言葉をつかえば「青春」の思想だったのである。」
(福田和也「ロベール・ブラジヤック」)
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