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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<エスプリの条件

「われわれは重々しそうに見せかけることはできる──しかしエスプリをもっているふりをすることはできない。なぜなら重々しく見せかけることは一つの回避であるが、エスプリは一つの参加だからである。エスプリは現金で支払う。もしわれわれがそれを欠くときには目も当てらられぬ。われわれは真面目な人のやるように偽金を使って急場を切り抜けることはできないのだ。
 私にはいつも頭に浮かぶルナンの言葉がある。それは、《私はどんな意見からも解放されて、好意に充ちた普遍的なアイロニーの見地に立つ人たちとでなければ自由に胸襟を開くことはできない》というのである。この言葉は人間の意見のもつばからしさ、意向の空しさ、もくろみの脆弱さについて、多くのことを教えてくれる。私は、自分たちの計画や構想に向けられた揶揄に対しては、最も罪のない冗談でも我慢することのできない人を見ると、彼らの構想も計画もおそらく道理になかったものではないのではないかと考えざるをえないのである。
 アイロニーを恐れることは理性を恐れることである。
 見るからに真面目であるということは、見るからに自分を真面目だと思いこんでいることである。これは自分自身を、自分の意見を、自分の行為をあまりにも重要視しすぎていることである。それは、《運命》そのものより、自分自身の運命のほうを一層信じていることである。それは自負心と虚栄心を混同することである。
 《運命》を信じるということは、《運命》に自分が守られていると思いこむことである。明らかにそれは自負である……しかしそれは見ていて楽しい。だが、自分自身の運命を信じるということは、自分のやっていることは自分の力でやっていることで、いかなる偶然の力をも借りていないと思いこむことで、それは虚栄である。のみならず、それは見ていて悲しい。
 軽佻であるということは、明らかに虚栄の徒の仮面を剥ぐことである。それはぺてん師どもを不安にし、悪人たちを当惑させることである。それは不機嫌に愛嬌を対抗させ、進んでは精神的羞恥心の洗練された証言を提供することである。」
(サシャ・ギトリ『エスプリ』)
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