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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<小説家の怯懦

三島 それは安部公房もそうですよ。石川淳もそうでしょう。ぼくは見切りをつけた人にはちょっとついていけなくなっちゃう。安部君の芝居は素晴らしいと思うけれど、小説にはどうしてもついていけないところがある。というのは、小説家にとっては抽象化の権利はどこまでという許容量がどこかにあるような気がする。たとえば、「築地明石町」ということを書かないで、「ある町の海辺で」と書いちゃうとか、「海の近くのある町で」と書いてしまうとか、そういうことの許容量がどこまであるかということがいつも疑問なんです。カフカみたいな男もおりますけれども、あれは気ちがいですからね。だいたい批評家からいう場合には、カフカがああいう世界をつくって、「城」でも「審判」でもいいですけれども、その恐怖自体にリアリティーがあり人間性の非常に高いものを抉っているから、その恐怖感によって下手な「築地明石町」よりリアリティーを生ずるという考え方を持つ。ですから小説というものはなにも末梢的なリアリティーは必要じゃない、中にある与えるものの感動の本質で小説を組み立てればいいんだという考えだって成り立つ、読むほうの側にすれば。だけど書くほうはそんなことは言っていられない。人を信じられなし、いちいち心配でたまらない。
中村 ほんとうにそうだ。
三島 ほんとうに信じられない。「築地明石町」と書いてさえ信じない人に対して「ある海辺の町で」なんて書いたらもっと信じないだろうと思って、こわくてたまらない。」
(中村光夫×三島由紀夫「対談・人間と文学」)
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