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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<Re: 運命の記号

「社会民主主義の理論は、そしてそれ以上に実践は、現実を拠り所とするのではない、ドグマ的な要求を隠しもつ進歩概念によって規定されていた。社会民主主義者の脳裡に想い描かれていた進歩とは、ひとつには、(たんに人類のもつ技能や知識の進歩だけではない)人類そのものの進歩であった。それは、第二に、(人類が無限に完全化しうるという観念に照応する)完結することのない進歩だった。それは、第三に、(自動的なものとして直線なり螺旋なりの軌跡をえがく連続的な)本質的に停止することのない進歩と見なされた。これら三つの客語のどれにも議論の余地がある。そして、それらのどれにも批判を加えることができよう。だがその批判は、急所を衝こうというのであれば、これらすべての客語の大本を発きだして、それらに共通するところを狙い撃たねばならない。歴史のなかで人類が進歩するという観念は、歴史が均質で空虚な時間をたどって連続的に進行するという観念と、切り離すことができない。この歴史進行の観念に対する批判こそが、進歩そのものの観念に対する批判の基盤を形成しなければならないのだ。
 …………
 歴史は構成の対象であって、この構成の場を成すのは均質で空虚な時間ではなく、現在時(Jetztzeit)によって満たされた時間である。……
 …………
 移行点ではない現在の概念、時間の衡が釣り合って停止に達した現在の概念を、歴史的唯物論者は放棄できない。というのも、この現在の概念こそ、ほかならぬ彼自身が歴史を書きつつある、まさにその現在を定義するものだからだ。歴史主義が過去の〈永遠の〉像を立てるのに対して、歴史的唯物論者は過去に関する経験を、それも、いまここに唯一無二のものとしてあるそれを呈示する。歴史的唯物論者は、歴史主義の売春宿で〈昔むかしありましたとさ〉という娼婦に入れ揚げてなにもかも使い果たすことは、他人に任せる。彼は自分の精力の使いどころをしかと心得ており、歴史の連続の打破をやってのけられる男である。」
(ベンヤミン「歴史の概念について」)
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