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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<ロマン主義的-ニューエイジ-アナキスト

「多くの文学史・思想史は、ロシア革命後の状況のなか、日本でもアナキストとマルクス主義者(ボリシェビキ)とのあいだの論争が激化し(いわゆる「アナ・ボル論争」)、関東大震災でアナキストの代表的な理論家・大杉と、そのパートナー伊藤野枝が虐殺されたこともあり、マルクス主義者の「勝利」に終わったというのが通説となっている。
 …………
 しかし、アナキズムは──とりわけ、クロポトキン主義は──「右翼」において継承されていたのである。右翼によって継承されたクロポトキン主義は、いわゆる「昭和維新」運動(丸山眞男学派の用語では「超国家主義運動」)のなかで開花し、実際に、青年将校たちのクーデター未遂事件として知られる、五・一五事件(一九三二年)や二・二六事件(一九三六年)──主に前者──の有力な背景となっていた。
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 クロポトキンと深く親近的な右翼思想家は、五・一五事件の思想的背景をなした、権藤成卿と橘孝三郎(水戸・愛郷塾)の、いわゆる農本主義思想家である。……
 …………
 権藤の思想は「社稷」という概念を中心に形成されている。「社稷とは、古代中国において、土地の神を祭る祭壇を意味する「社」と、穀物の神を祭る祭壇を意味する「稷」を併せた言葉であり、転じて、国家、社会、自然的自治組織などの意味を持たされた。
 …………
 ここに、権藤のコミューン主義が端的に表現されている。これが、クロポトキンの相互扶助的自己組織と、ほとんど同一であることは論をまたない。もちろん、クロポトキンはその範囲を全人類に及ぼし、権藤は東洋とりわけ日本に、その自治主義の伝統を見出しているという違いがあるだけである。日本の「社稷」の司祭が天皇であることは、言うまでもない。
 そして、このコミューン=自治組織の基礎にあるのが、自然な「社稷」にほかならない。それは「衣食住の安固」にかかわるからだ。つまり、「生命」の源である。……それは、権藤にとって、「国家」とも異なった概念である。「世界みな日本の版図に帰せば、日本という観念は、不必要になる」が、国家がなくなっても、社稷は滅びない。……
 権藤の言うところを敷衍すれば、天皇を司祭とする日本的社稷もあれば、カスタネダ=ドン・ファン的社稷もあり、タオ的社稷もあり、禅的社稷もあり、チベット密教的社稷もある、ということになろう。ニューエイジとは、言ってみれば、「社稷」のマルチカルチュラリズムであり、それを一つの社稷に特化すれば、「超国家主義」となる。
 権藤らによって日本的に変形されたクロポトキン主義が、マルクス主義の崩壊した時代に、右翼青年将校運動の有力な参照先だったとすれば、アナ・ボル論争でアナキズムが敗退したなどという歴史観は、寝言以上のものではないだろう。……スターリン主義の暴圧に懲りて、アナキズムの復権を目指すという、繰り返されてきた思考が無意味なのも、そのためである。」
(スガ秀実『反原発の思想史』)
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