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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<価値形態論復習

「〔マルクス『資本論』の〕「価値形態論」は交換(価値)を原理的に徹底分析したものである。我々はここで労を厭わず、「価値形態論」を詳細に追っておこう。
 「価値形態論」において、価値形態は大きく四種類に分類されている。まずAとして「単純な、個別的な、または偶然的な価値形態」なる形態から記述は始められる。これはその名の通り、二種の異なった商品aとbが交換される際の価値の分析である。この交換は等式a=bで表現されるが(当然ここにはx量のa=y量のbというように量的な問題も含まれるが、議論を見やすくするために以下便宜上割愛する)、重要なのはこの等式がaとbの価値が等しいことを示しているわけではなくて、aの価値がbで表されることを示しているということである。……aはbと交換されなければ、ついに自らの価値を明かすことができず無価値のままとなる。ここにおいてaはその価値表現においてbに完全に依存している。だが事態はbにおいても全く同様である。bが自らの価値を明かすにはやはりaと交換されなければならない。……従って両者は「相関的に依存しあい、交互に条件づけあっていて、離すことのできない契機であるが、同時に相互に排除しあう、または相互に対立する極位である」という平等の条件の場に置かれている。……
 次にBとして「総体的または拡大せる価値形態」である。Aにおいて商品aはbに限らずどんな商品とも交換され得るのだから、a=c、a=d、a=e、……というように「それぞれ違った単純な価値表現の、いくらでも延長され得る列に転化され」、まとめるとa=b=c=d=e=……となるだろう。これが価値形態Bである。これは一見Aの単なる拡大、延長に見える。だが、AとBには本質的な違いがある。Aにおいてaとbが交換されるのは、全くの「偶然の事実」である。たばことパンはあらかじめ交換されることを予期してはいなかった。偶然に相互の使用価値への欲望が生じ、平等であるがゆえに「命懸けの飛躍」を経て交換が行われたのである。交換比率はその偶然性のなかで決定される。だがBにおいてはaの価値は、bによってもcによってもdによってもeによっても示すことが可能であり、かつ同じ大きさなのだから、ここには「二人の個人的な商品所有者の偶然的な関係はなくなってしまう」のである。従ってこの形態に入ったそれぞれの商品は「この世界の市民」となり、「商品価値は、使用価値がどんな形態であろうと、その特別の形態にたいして、無関心であることにもなるわけである」。a、b、c、d、e、……はそれぞれ均質であり、つまりマルクスが言うように「市民」的存在である。だがここにおいては相互に「無関心」が起こる。なぜならそれぞれの交換に偶然性が、従って相互の使用価値への欲望がなくなってしまったからだ。欲望は使用価値の差異(different)から発生する。差異が消滅すれば「無関心」(indifferent)に陥るほかはない。……
 重要なのは、Aにおける両者の平等と、Bにおける各自の均質が全く質を異にしていることだ。……aがそれぞれb、c、d、eと均質なのは、あくまで(交換)価値においてである。……交換=コミュニケーションはすでになされてしまっているのだから、ここに「命懸けの飛躍」はない。……
 さて次なる形態はC、「一般的価値形態」である。これはBに見られた等式a=b、a=c、a=d……の両項を逆にしたb=a、c=a、d=a……から得られるものである。ここにおいてb、c、d……は等しくaによってその価値を表されているのだから、……aはいまや他のすべての商品の一般的等価物に君臨する。あらゆる商品を質的に等しく、かつ量的に比較し得る共通の物差し、土俵となってそれぞれを束ねあげるのである。この特殊な商品の出現による形態Cの成立から、「貨幣形態」Dへの距離はごくわずかとなる。諸商品の等価物aの位置に金という具体的な商品が収まる時、Cはそのまま「貨幣形態」Dとなるだろう。そして、C、Dにおけるa、金はそれぞれ諸商品に対して一般的等価物として超越的な存在なのだから、……この貨幣(的なもの)と商品(的なもの)との権力的な格差が、そのまま貨幣所有者と商品所有者との格差となって現われることは言うまでもない。
 ……貨幣形態Aにおいて平等であった商品a、bはDに至ると圧倒的な不平等の関係へと変容し、すべての商品は貨幣に隷属化することで均質の要素として「集団化」するのである。……というより、資本主義における権力関係はこの貨幣と商品の関係から派生するのである。……まさに資本主義のもとでは、縦の権力関係と横の平準化が同時に進行する。貨幣所有者が主人として超越化すればするほど、商品所有者は奴隷としてますます平準化し集団化していく。被害者の意識はこの奴隷としての集団化の意識である。」
(中島一夫「媒介と責任──石原吉郎のコミュニズム」)
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