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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<リバタリアニズム批判の定石

「答が出せるかどうかはともかく、どのようにして運と才能を切り離し、個人の貢献と集団の実績を切り離すのかという問いは、社会全体の公正と正義についてのわれわれの考え方も特徴づけている。
 この問題は、表現こそいくらかちがうが、政治哲学者のロバート・ノージックとジョン・ロールズの公正な社会の要件をめぐる有名な論争で提起されたものだ。ノージックは、人々が基本的に自分で働いたものだけを得ていて、それゆえたとえ著しく不平等な社会を強いられることになろうとも、だれもそれを奪う権利はないと考える自由至上主義者〔リバタリアン〕だった。ひるがえってロールズは、自分が社会経済上のどの階層に属するかを前もって知らないとき、どのような社会で生きていくのを選ぶかと問うた。非常に裕福な人々にはいれる見こみはきわめて少ないので、合理的な人間ならわずかな人々が非常に裕福で多くの人々が非常に貧しい社会よりも、平等主義の社会、つまり最も貧しい者でもなるべく豊かになれる社会を選ぶはずだとロールズは推論した。
 ノージックはロールズの主張を大いに問題視したが、その大きな理由は、ロールズが個人の成果の少なくとも一部をその人物の努力ではなく社会に帰していることだった。もし個人が自分の才能や努力の産物を所持しつづけられないのであれば、自由意志に反して他人のために働かされるのと同じであり、自分自身を完全には「所有」できないとノージックは論を進めた。……
 ……だがロールズの主張の肝心な点は、われわれはそのような〔ノージックが単純に把握しているような〕世界には生きていないということだ。われわれが生きているのは高度に発展した社会であり、そこではたまたまある特質を備えていたり適切な機会を得たりした個人が、並はずれて大きな報酬を手にしうる。
 たとえばアメリカでは、実力にも積み重ねた訓練にも変わりはないのに、世界一流の体操選手と世界一流のバスケットボール選手というふたりの運動選手の名声や富が、本人たちの失敗や実績にかかわりなく、大きく変わってくる可能性がある。同じように、遺伝的な資質に変わりのないふたりの子供でも、ひとりが裕福で高学歴の名家に生まれ、もうひとりが教育でなんら見るべき過去のない貧しく疎外された家庭に生まれたら、生涯で成功する見こみは劇的に変わってくる。さらに、キャリアの初期における機会の偶然のちがいがマタイ効果〔個人がキャリアの早いうちに成功を収めると、一定の構造的優位を得て、本来の能力以上に成功する見こみが大きくなる現象。社会学者のロバート・マートンによって実証された。名称はマタイ福音書の「持っている人はさらに与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」という言葉に由来している〕によって累積し、生涯にわたって結果に大きなちがいをもたらしうる。生まれにせよ、才能にせよ、機会にせよ、不平等が起こる仕組みは本質が偶然の産物であるのだから、公正な社会とはこうした偶然の不利な効果が最小化される社会だとロールズは主張した。
 ロールズの主張は、いかなる不平等も望ましくないと訴えるものだとしてよく誤解されているが、ロールズはそんなことはまったく言っていない。努力し、才能を活用すればほかの人より成功できるという道を開くのが、社会全体の利益になるのはまちがいない──……だから、ロールズの世界では、人々は望むことをなんでもしてかまわないし、ゲームのルールにしたがってなんでも得る権利を完全に認められている。……ロールズが言いたいのは、ゲームのルールそのものは個人ではなく社会の目的にかなうように選ばれるべきだということである。」
(ダンカン・ワッツ『偶然の科学』)
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