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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<物質は買収されない

「周知のように、プロレタリアートを革命の主体と見做したカール・マルクスは、ルンペンプロレタリアへの軽蔑を隠さなかった。プロレタリアートは組織化されれば資本と対決できるが、ルンプロは、簡単に(個別的に)資本に買収され、分断されてしまうからである。この、マルクスの差別主義的なルンプロ観は、その後の左派の歴史のなかでもきわめて評判が悪いものだが、今なお一面の真理を突いてはいるだろう。現代のルンプロを代弁している「生きさせろ!」イデオロギーは、むしろ資本に「買収してくれ」と訴えているからである。これは、資本にとっても、都合のいい考え方だろう。資本は、ルンプロを生きさせてやるためには、その前に資本を庇護せよと言うからである。……
 ルンプロは、それ自体として発言の場を持たないから、それを代弁するのが小ブルジョワ・イデオローグということになる。しかし、小ブルがルンプロに対して多少のアドヴァンテージがあるとすれば、それは、相対的に資本から自由浮動的な小ブルが、ルンプロに対して「買収されるな」と言い続けることにしかありはしない。マルクスも言うように、ルンプロは資本の調整弁として、個別的に買収され、不用になれば排除されるからである。
 ルンプロの代弁者たちは、資本による労働力の切り捨てを批判するのに、概して、「人間をモノのように使い捨てるな」という言い方しかできない。しかし、ルンプロに限らず、資本によって雇用されるということは、労働力というモノとして自分を売買するわけである。資本は人間をモノとして擬制することによって作動している。その意味で、ルンプロが……買収されやすいという事実は、それがきわめて「人間的な」存在であることを意味している。モノはもしかしたら物質的に資本と対立しもするだろうが、買収されはしないからだ。だから、問題は人間主義を資本「主義」に求める(お願いする)ということではない。まったく逆なのだ。資本という物質性に対して、唯物論的に対立して行くことが求められている。」
(スガ秀実『タイム・スリップの断崖で』)
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