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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<感情教育4

「報酬が、痛みなどの嫌な体験の必然的な一部だという仮説は、最初はばかげて聞こえるはずだ。まるで痛みは基本的に快いものだとか、人はみんな実はマゾだというように聞こえるだろう。でも、そんな主張をしているわけじゃない。確かに痛みが感覚的な快楽を増す場合はあるし、動物をだまして、痛みがどんどん増す方向に行動をうながすような実験もある。でもこれらは痛みの現われ方のごく一部でしかないし、ここで論じていることでもない。
 私がむしろ述べているのは、双曲割引が「報酬」と「快楽」を別物として扱うようにし向けるのだ、ということだ。伝統的な効用理論では、この二つは同じだ。報酬はそれ自体が快いものだし、それが後になって無報酬や、痛みと呼ばれる別のプロセスを引き起こすのであれば、それがコストに見合うものかすぐに判断できるはずだ。伝統的な報酬の定義──「それに続く行動の反復を引き起こしがちな体験すべて」──は、快楽の定義とほとんど同じだ。快楽の定義は、「望ましいと感じられる体験すべて」とでも書けるだろう。だが双曲割引の下では、後からもっと大きな報酬欠如につながることがわかっているような短い報酬であっても、人を誘惑できる。さっき論じたような癖や痛みや、ほとんど抵抗しがたいほどの〔それに関心を向けないわけにはいかないという〕衝動を作り出すが、それが望ましいものとして感じられることは決してない。この仮説の予想では、短期的な報酬は長期的な報酬とまったくちがう体験を生み出すことになる。
 痛みが報酬のように「思えるか」と尋ねてみても役には立たない。この質問は直感的に、報酬と快楽を同義語として扱っているからだ。報酬の影響は、痛みが抵抗できない──いやむしろ、抵抗が非常にむずかしい──ものに感じられるという経験から推測しなくてはならない。その難しさこそが、それに対抗するために用意すべき報酬の量を示しているわけで、したがってそれがすなわち痛みのもつ報酬の量というわけだ。」
(ジョージ・エインズリー『誘惑される意志』)
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