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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<人間嫌悪の限界

「自分を愛するように他人を愛するのはなぜ困難なのか。……根本はこうだ。それは生き物を殺す自分を愛することであり、同時に、生き物を殺す他人を愛することでもあり、さらに一歩進めて、自分という生き物を殺す他人を愛せよということになるからだ。……
 他方で、賢治の菜食主義は自らの暴力性の否定であり、その意味で彼の自己破壊は自己を憎むことから出発している。彼が開いてみせた「あらゆる生物のほんとうの幸福」という願いは、確かに無限の何かにつかまれた手応えがある。……しかし、彼の実行が生き物を殺す自己を否定することから出発する限り、それは殺す生き物としての他人の否定へとつながっていく。……
 議論を整理しよう。自己破壊には次の二つの回路がある。
A:殺す自分を肯定 → 殺す他人を肯定 → 殺される自分を肯定 → 無限の自己破壊=?
B:殺す自分を否定 → 無限の自己破壊 → 殺す他者を否定=全否定
 彼のゾルレンBは何かが致命的にズレてしまっている。……もちろん現実のAの回路は往々にして、「殺す他人の肯定」正確には「自分と身内以外を殺す他人の肯定」で止まるのが精々であり、その欺瞞に比せば、彼の自己破壊Bはほとんど奇跡のような倫理性を帯びている。だが何かが足りない。それが自己否定から出発している限り、他人はその燃える炎への距離を都合よく調節出来る。彼はときに心を温め、ときに熱くなり、ときに自らの不徹底を嘆き、しかし、結局は自分に安心するだろう。そこには個体を真に慄かせる何かが欠けている。」
(大澤信亮「宮澤賢治の暴力」)
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