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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<引用とファシズム

福田 ……僕の感じだと、いわゆる現代的な営為の一番代表的で先駆的なものって、やっぱりエズラ・パウンドの『キャントゥーズ〔詩篇〕』だと思ってて。『キャントゥーズ』ってご存じの通り、要するに古今東西の詩篇の全部引用して、リミックスして、カットアップしてできてるわけですよね。新しい抒情とか、新しい詩情を作るんではなくて、引用してそれをアレンジすることが詩のこれからの任務なんだ、という指向になる。で、そうなると今度は、ムソリーニ的な、非常に粗野なファシズムみたいなものが立ち上がってくる構造ってのがあって。そういったことを全体的に示しているのが、やっぱりパウンドのすごみだと思うんですよ。だから、……引用とカットアップとリミックスしかないんだといったときに、でもそうすると、それを貫く文脈というのかしら、じゃあ、それをどういうふうにリミックスするのか、どういうふうに引用するのかってことが、逆に問われてしまうんですね。そのときに問題となるのは、クリエイティビティーが保証するようなヒューマンな個性なんかじゃないはずで、もっとなんか全体的な、それこそ僕なんか「日本」って言葉にしていいんじゃないかと思うんだけれど、自分が受けついでしまっている感性なり感覚なり、表現のある種の傾きとか、そういったものが、暴力的に露出してしまうのであって、そこに意識的でなければ批評的ではない、というのがやはり最初にあるんですよね。
 …………
 ……本当は日本や日本人というのを意識からはずしてしまうと、大事なグルーヴみたいなものを取り逃がしちゃう気がするんですよ。我々が黒人のようにブルースを弾くことはできない、というのはデメリットではなくて、むしろちがうものになってしまうメリットでもあるでしょう。日本人もアメリカ人もイギリス人も同じだよっていってしまうと、一番おもしろいものがこぼれ落ちちゃう気がするんですよね。」
(福田和也×椹木野衣「「批評」のサバイバル」)
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