「ホッブズからミルに至る近代の道徳理論家がだれも問題にせず、プラトンやアリストテレスとニーチェが共通に問うている問いがあります。それは、生きる意味の問いです。どうしたら充実した有意義な生を生きられるか、という問いです。プラトンにおいても、アリストテレスにおいても、この問いこそが倫理的な問いでした。それが道徳的な善悪の問いと直結していたのです。つまり、生きる意味の問いがそのまま倫理学の問いであり、それ以外の場所に倫理など考えることもできなかったのです。倫理学は人生論であり、人生論がすなわち倫理学だったわけです。
ニーチェも同じです。しかし、もうその直結の条件は完全に失われている。そういう時代に固有の人生論=倫理学を求めること、これがニーチェの課題だったわけです。つまり、いかなる目的連関からも外れて、ただ存在する孤立した人間に課された「固有の働き(仕事、任務)」、これこそが彼の課題でした。これは、成功の見込みがない、無謀な試みだったかのように見えます。
しかし、それは少なくともきわめて正直な問い方だった、とはいえるのではないでしょうか。今日、われわれが倫理の名のもとに問わざるをえない問いは、じつはこの問いであるはずだからです。」
(永井均『倫理とは何か』)