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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<やめられない止まらない

「それでは、ここで、資本との対比はどうなのか? ミーム〔模倣子。文化を伝播し進化していく情報〕が、主体によって伝達の手段として誤認され、効果的に事態をとりしきる(ミームがみずからを再生産し増殖するために、われわれを利用する)のとおなじように、欲求と欲望の充足の手段としてあらわれるにすぎない生産力もまた、効果的にものごとをすすめる。その過程の真の目標、目的それ自体は、生産力の発展であって、われわれの欲求や欲望の充足は、その発展にむけての手段でしかない。したがって、資本制が、個々の資本家の利己的な貪欲によって維持されているというのは正しくない。かれらの貪欲が、それ自体、再生産し拡大しようとする資本の非人格的な衝動に従属しているのである。したがって、ほとんど次のように言いたくなる。われわれが本当に必要としているのは、より多くの啓蒙的利己主義であって、利己主義を減少させることではない。生態学的脅威をとりあげよう。この場合、必要とされるのは、擬似アニミズム的な自然への愛ではなく、長期的な利己主義的利害を計算することだけである。ラカンのことばでいえば、個人の貪欲と資本そのものの衝動の区別は、欲望と欲動の区別として規定できる。金融崩壊について、クルーグマンは明快な所見を述べている。「タイムマシンを運転して二〇〇四年にもどることができるとすれば、人びとは、用心して行動すべきか、それと大勢にしたがって行動すべきか、自問することができるだろう。大多数の人びとは、将来に崩壊が起こることを知っていても、なおも大勢にしたがうことだろう。」これが、資本制の作動のしかたである。これが、資本制的イデオロギーの実質的な効果である。われわれは、ものごとの実際がわかっているときでさえも、あやまった信念にそって行為しつづける。「ペニス羨望」にかんする明白な非難にたいして、精神分析からだされた標準的な回答を、ドゥルーズはからかった(「しかし、いったいだれが、自分の母はかつてペニスをもっていて、それから去勢されたと本当に信じるのか?」)が、そのとき、かれが誤りをおかしたのはこの点である。いうまでもなく、だれも直截にはそれを信じていない。というのも、信じるということをやっているのは、われわれの無意識だからである。」
(ジジェク『終焉の時代に生きる』)
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