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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<セクシャルハラスメント・ハラスメント

「性問題における難点は、われわれが自然な態度でそれを話題にのせ、思考の対象とする勇気に欠けているということにつきる。われわれは心の奥底に性犯罪人を宿しているものではない。ひそかなる性的頽廃者ではないのだ。われわれは生きた性をもつ人間にすぎぬ。もしこの原因不明の破滅的な性の恐怖さえなかったなら、われわれは無事なのだ。十八歳の少年だったとき、わたしは自分が前夜にいだいた性的な想念や欲望を朝になって思いだし、恥辱と怒りに顫えたことがよくあった。それはだれかに知れるのではないかという恥ずかしさであり、憤懣であり、恐怖であった。こうしてわたしは前夜の自分を憎悪した。
 たいがいの少年がこうなのであるが、それはいうまでもなくまちがっている。性的な想念と感情を昂らせた少年は、生き生きとし、暖かな心情をもった情熱的なわたしであった。翌朝になってこの感情を怖れと恥と怒りとをもって想起した少年は社会的、精神的なわたしであり、このわたしはおそらく少々きざで、まちがいなく尻ごみ状態にあったにちがいない。が、この両者は分裂し、反目しあっている。……
 かなりの時日を経過したのちにはじめてわたしは、自分の性的な想念や欲望を恥じるのをやめよう、それもまた自分であり、自分の生活の一部なのだ、と考えることができた。わたしは知能や精神としてのわたしのみならず、性としてのわたしをも受けいれ、自分はあるときにはこうであり、別のときにはそれと違ったものとなるが、あくまでもわたし自身であり続けるということを知るのだ。わたしの性は、わたしの精神がわたしであると同様に、やはりわたしであり、だれもこの点に関してわたしを恥ずかしがらせることはできぬ。
 という決意に達してからすでに多年の時が流れた。けれども、そのときのわたしがいかに自由な気分を味わい、いかに暖かい共感をひとびとに感じたことか、それをいまでも思いだすことができる。そのときのわたしには他人に隠すべきことはもはやなにひとつなく、他人に見つけられるのではないかと怖れるあまり、尻ごみをして避けてしまうことも皆無であった。わたしの知能や精神と同様、わたしの性はわたし自身であり、他人の性もまた、かれの知能や精神とともに、かれ自身なのだ。女の性にしても同様である。ということがひとたびすなおに認められてしまうと、人間的共感の流れが驚くほど深みを帯び、真実味を湛えてくる。そして、これを認めることが、男にとっても、女にとってもいかに驚くほど難しいことか──抑圧と拘束のない血液的な交感を、自然に、そして暖かく流れかよわせる、この暗黙にして自然な承認の難しさ。
 わたしがまだ非常に若かった頃、女性と同座している際に、相手の性的な現実にふと気づこうものなら、とたんにわたしはみずからに対する烈しい憤怒に襲われたものだった。わたしはただ女の個性、その知性と精神をのみ意識することを欲していたのだ。それ以外の面はがむしゃらに締めだしておかねばならなかった。女性に対する自然な共感のある一部を締めだし、隔絶してしまわねば気がすまなかった。わたしと女性との関係にはつねに一種の切断がつきまとっていた。
 いまでは、社会の敵意にもかかわらず、わたしはずっと賢明になることができた。いまのわたしは、女は性的な存在でもあるのだということを知っており、女との正常な性的交感を身のうちに感じることができる。そして、この沈黙の交感は、欲望とか荒れ狂う嵐とか妖しい雰囲気とかいったものとはまったく類を異にする。わたしがひとりの女の性的な存在に真に共感できるという場合、それはただ優しさと同情のひとつの型であり、この世でもっとも自然な生の流れにすぎぬのだ。相手が七十五歳の老婦人であろうと、二歳の幼児であろうと変わりはない。」
(D.H.ロレンス「尻ごみ状態」)
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