「千絵 こういう場合はどうかな。聖人のような人がいて、貧しい人々や弱い立場の人々のために、自分の人生を犠牲にして、献身的に活動しているとするよ。あなたにはあなたの人生があるんだから、そこまで自己犠牲的に生きなくても……、と言う人がいると、その人はこう答えるとするね──「いえいえ、私はただこれが好きで、ただ楽しいからやっているだけです。本当にそうなんです」とね。
…………
その人の言葉は、かならず何か謙遜のようなものとして受け取られてしまうんじゃないかな。でも、本当はさ、自分が言っている通りで、ただ自分が楽しいからそうしているにすぎないとするよ。そして、人の身代わりになって死ぬとき、こう言うのね──「ああ、面白かった。おれはもう、人助けのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、天国で人助けをするかな」と。
祐樹 「みんなはすっかり気味が悪くなりました」で終わる。
猫 不健全に善い人の脅威は、その根拠が道徳にはないことにある。同じ根拠から、つまりただ自分が楽しいという理由で、まったく逆の、愉快犯的殺人鬼にもなれるから。」
（永井均『倫理とは何か』）
