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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<ダサいミソジニー

「強姦は、〈精神のある人間として呼吸している女たち〉〔水村美苗「「男と男」と「男と女」──藤尾の死」〕の精神を完全に抹殺し、有無を言わせぬ問答無用の暴力で屈服させ、男の側の性的欲望と支配欲だけを満足させ、女を子供を産む道具にしてしまうことにほかなりません。そして、この強姦によって、女性たちを暴力で支配するという欲望の自己正当化に基づく行為の実践こそが、男性中心的なパワーポリティクス社会において、権力を握っている男性の単一性社会に帰属している男性たちの心の中に、根深い女性嫌悪(ミソジニー)を発生させるわけです。
 …………
 女性嫌悪が生み出される原理はいたって簡単です。男性が女性を〈精神のある人間として呼吸している女たち〉として認めずに、その精神を暴力で踏みにじって無理矢理言うことを聞かせているわけで、心の中では、女性から恨まれている、憎まれている、復讐されるかもしれない、などと恐怖を抱えているから、女性嫌悪となるのです。
 権力を持った男子絵が、自分が〈精神のある人間として呼吸している女たち〉に対して、罪を犯していることを内心では感じながら、その罪を認めずに、自分を正当化しようとするから、女性嫌悪になるのです。
 権力を持ち、暴力で女性を従わせる男性が、女性嫌悪に陥る構造を明らかにしているのが、カフカ少年が甲村図書館で最初に読んだ『千夜一夜物語』の枠物語の、処女と性交し、彼女たちを殺しつづけた王と、シェヘラザードの物語なのです。
 シェヘラザードは、千と一夜、物語を語りつづけることで、〈精神のある人間として呼吸している女〉であることを、王に認めさせた、と考えてみると、あの枠物語の意味がとてもはっきりしてくるのではないでしょうか。またいっしょに王宮に入った、妹のうながしによって物語を語り、姉と妹という女性同士の言葉の交わし合いを、王が聴くことによって、〈精神のある人間として呼吸している女たち〉の存在を、王に認めさせることができたのではないでしょうか。しかし、カフカ少年は、バートン版『千夜一夜物語』の性的描写にしか興味を示さず、それが、姉のような存在への「レイプ」のきっかけになっているのです。
 ……女性自身が性欲を持ち、それはその女性が〈精神のある人間として呼吸する女〉だからこそ、彼女自身が精神的に好きになった相手としかセックスしない、という、きわめてあたりまえのことを認めるかどうかなのです。そのことを認められない愚かな権力的男性が、女性嫌悪に陥るのです。」
(小森陽一『村上春樹論』)
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