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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<みんながみんな自己実現

「ヘーゲルが、性関係のことを、道具的な活動よりも以前の経験内容のうち特殊なものが自分を他者において知ること(Sich-im-anderen-Wissen)という相互関係にあるものだとみなすのは正しい。性的な相互行為の関係において、ふたりの主体は、互いに相手の欲望を求めるために、パートナーそれぞれのなかに自分を再認識しあう。労働の実行と成果においては、自己はつねに物化された行為主体としてあたえられただけだったが、それにたいして相手方が自分にたいして示す欲望においては、自己は自分が相手方に求めるのとおなじように生きており、欲望する主体性であることを経験する。したがって、性行為は、対立する主体相互の合一の最初の形態を現している。「まさに、各人が他者と対立していることにおいて、各人は他者と同等なのである。また、そのことによって、各人にとって他者が存在するという他者が、各人そのものなのである」。しかし、自己を他者において知るというこの相互の経験は、両者の側の間主観的に共有される経験になってはじめて現実的な愛の関係へと発展していく。というのは、主体それぞれが相手について、「その他者においてもまた自分を知る」ことを経験したときにはじめて、主体は、「他者が……わたしにとって」存在するというたしかな「信頼」をもつことができるからである。ヘーゲルは、ここではじめて互いに自分を他者において認識する(Sihi-im-anderen-Erkennen)という関係をきわだたせるために「承認」という概念を用いる。ヘーゲルは、欄外の書き込みのなかで、愛の関係において「修養されていない自然的な自己」が「承認」されるのだと述べている。」
(アクセル・ホネット『承認をめぐる闘争』)
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