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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<「なぜ」でなく「いかにして」の記述

三浦 キリスト教の場合はもう一つ別な側面もあって、さっきの北海道と同じようなもので、教会自体が西欧であったわけでしょう。だから、雰囲気的に異界というか、ちょっと違うところにいくという感じは歴然としてあったということだと思う。ぼくらがいま考えているキリスト教はもっと観念的だけど、もうちょっと濃密な雰囲気があったと言ったほうがいいでしょうね。だから白秋とか東村とか、そういう一般的な人たちのキリスト教は、かなり雰囲気的な、中学生が喫茶店に入るような感じだったでしょう。
柄谷 その「雰囲気」は教会の雰囲気なんですよ。そこは、明治時代では女性が対等な存在として出入りする唯一の場所だったからね。だから、そこが内村〔鑑三〕との違いですね。内村は教会を知らないし、否定している。彼が行ったのは農学校でしょう。彼は自然科学者なんで、アマーストに留学しても自然科学をやっている。神学の勉強に行ったのではない。それが、浅田さんの言った内村の散文性とつながっている。たとえば、「How I became a Christian」にしても、「いかにして」であって、「なぜ」ではない。科学は「なぜ」は問わない。how しかやらない。why から始めてはいけない。この科学性=散文性はかつて日本にないものです。ところが、透谷をふくめて、キリスト教に近づいた連中はみんな why にいってしまう。記述しないで、抒情してしまう。みな詩人になる。」
(浅田彰×柄谷行人×野口武彦×蓮實重彦×三浦雅士「明治批評の諸問題 1868-1910」)
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