「そのとき、先生にいわれて『城の崎にて』を読んだんですよ。で、まあおもしろくはないと。でも、心境小説というのはなんなのか、心境小説と心理小説、これは明確にちがうから、その理由を説明してくれるといって、読んでみて、もう細かいことは何を話したか忘れましたけど、ひとつだけいまだに明確に覚えてることは、ヤモリがいて、それに石を投げようとしたときに、光があたってて、そのヤモリがいい色をしてたというんですよ。この「いい」という言葉を分析しろというから、「いい」っていうのは「いい」でしょうといったら、つまりまず「美しい」って言葉、「きれい」って言葉、それから「いい」って言葉があると。「美しい」というのは客観的だ。「きれい」のなかには少し主観が入ってる。「いい」は全面的に主観である。小説の言葉というのは、主観的な言葉、「いい」っていう言葉を使って普遍性を出すんだと。普遍性を持たせる描写ができるかどうか、それが小説の言葉なんだよといわれたんですよ。それだけはいまだに頭にこびりついてるんですね。
僕はやはり「いい」という言葉をどうやって使うか。とりあえず「いい」という言葉にすべてを集約させているんだけど、「いい」という主観的な言葉を使ってどうやって普遍性を持たせるかということについてはものを書きはじめてから、ズーッと苦しんできて、それはもう、まだできてない、まだできてない、もっと「いい」という言葉を使って小説のすべてを書いてみたいと、思い焦がれるくらいだったんですね。」
(福田和也×北方謙三「革命小説のロマン」)