「みんな、恋愛っていうのを安易に考えすぎていると思う。
激しい恋に落ちるっていうのは、それは、恋人同士が二人揃って、現実からスッパリと切り離されるっていうことなんだもの。そして、その切り離されたこと故に、恋に落ちた二人っていうのは、「一体何が、この僕達私達と現実との間をスパッと切り裂いてしまったんだろう」っていう、そのことの答を考え出さなきゃいけないんだもの。恋愛っていうのは、そうしたラジカルなものをうっかりと生み出しちゃうっていう、その一点で現実からは嫌われるんだから。
人間ていうのはね、恋に落ちたら、その瞬間に、周囲からは切り離されるものなのね。
冷静になって考えてみればいい。あからさまにも恋をしている人間ていうのは、周囲から嫌われるんだから。自分が恋をしてなくて、自分の親しい友達、もしくは自分の一緒に生活している──たとえば“兄弟姉妹”っていうのが恋愛しているっていう状態っていうものを考えてみればいい。「それは嫉妬かな?」っていう考えを捨ててみれば、絶対に、自分の中にある、ほとんど“怒り”に近いような感情っていうのは発見出来るはずだから。
それは何故かっていうことは、今までのことを頭に入れておけば簡単に分かる。恋に落ちたら、その瞬間、その人間の周りは暗黒に包まれる──御当人達は光の中にいるもんだからそんなこと気がつきゃしないけれども、それは、分かる人間には分かる。「あ、そうなの。あなたがこことは別の世界の人間と、そんなにも激しい恋に落ちなければいけない理由っていうのが、私のいるこの世界にはあるっていう訳?」っていう、そういう感情が、自分の親しい人間に恋に落ちられてしまった人間の“怒り”に近いような感情の正体なのね。
だってそうでしょう? そんなにも思い入れたっぷりによその世界に逃げこまなくちゃいけないってことは、その当人が住んでいる世界には“見捨てられる理由”っていうのがあるはずなんだから。だから、勝手に親しい人間に恋に落ちられて、それを見せつけられる人間ていうのは「あなただって勿論、私に不幸を押しつけていた人間の一人だ」っていう宣告を、一方的に下されるのに等しいんだよね。
「そんな、バカな……」って思うじゃない? 思うからサ、それは「ないことにしとこ。だって、つまんない嫉妬してると思われたらヤだもん」てことになって隠されちゃうんだけど、恋を見せつけられる人間ていうのは、一方的に“悪人の役割”を押しつけられている人間ていうことになるのね。
…………
それがあるから──つまり恋愛というのは周囲を遮断することによって、自動的に周囲を敵に回すっていう危険なものであるから、恋愛っていうものの存在は、嫌われるの。
だから、それが結婚に結びつくようなものであるのが明らかである時は、「ああ、なんの危険もない」って言って、祝福されるの。」
(橋本治『恋愛論』)