忍者ブログ

Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<孤独を紐帯に変えるために

「諸君よ、愛は教師である。しかしそれを獲得する術を知らねばならぬ。なぜならば、愛は獲得のむずかしいもので、高価な価いを払い長いひまをかけて、長年の努力をもってあがなわれるものだからである。気まぐれな瞬間的なものであってはならず、永続的なものでなければならぬからである。気まぐれに愛することなら誰にでもできる。悪人でもできる。早死した私の兄は小鳥に赦しを願うた。これは無意味なことのようだが、正しいのである。なぜと言うて、この世の一切は大海のようなもので、一切は流れつつ互いに接触しており、その一端に触れる時は、世界の他の一端にまで響くからである。たとい小鳥に赦しを願うことが気違いじみたことであるとしても、もし人が現在の自分よりもほんのわずかでも美しい心になったならば、小鳥はもちろん、子供も、周囲にいるあらゆる動物も、ずっと安楽な日々を送るようになるであろう。この世の一切は大海のごとしである。もしこれを悟ったならば、人は小鳥にも祈るようになるであろう。万物への愛に悩みながら、えも言えぬ喜びにひたりつつ、小鳥よ、自分の罪を赦してくれと祈るようになるであろう。たとい他人の目にはどんなに無意味に見えようとも、この喜びは大事にしなければならぬ。
 わが友よ、神に喜びを願うがよい。子供のように、空飛ぶ小鳥のように、晴れやかな喜びを持つがよい。そうすれば、他人の罪に自分の仕事をかき乱されることもあるまい。他人の罪に仕事を妨げられ、その完成が邪魔されることを恐れてはならぬ。「罪業がひどすぎる、不信心がはなはだしすぎる、環境が悪すぎる、孤立無援で無力なわれわれはひどい環境に妨げられて、立派な仕事も完成できない」こんな泣き言を言ってはならぬ。諸師よ、こうした落胆を避けねばならぬ。この場合の救いはただひとつ、自分を取り押えて、人間の一切の罪をわが身に背負うことである。友よ、これは真実そのとおりである。なぜと言うて、真心から一切の罪、すべての人の罪をわが身に背負うやいなや、たちまちそれが実際そのとおりであることを、なるほど自分があらゆる人あらゆるものに対して罪があることを悟るに違いないからである。反対に、自分の怠惰と無力を他人のせいにすれば、結局は悪魔的な傲慢さに身をゆだね、神に対して不平を鳴らすようになるであろう。」
(ドストエフスキー『カラマゾフの兄弟』)
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
trounoir
性別:
非公開

P R