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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<愛することを学ぶ

「ジュリエットは、はじめてロメオを見たとき、崇高な言葉を口にした。「乳母や、もしあのかたと結婚できなければ、私どこにも嫁かずに死ぬわ」と言ったのである。たしかに、彼女は愛することを選ぶのではない。むしろ、そとから来たこの愛をにぎりしめ、自分のものとするのである。彼女はまず愛を誓い、これによって最高の感情に達するのである。これはおさえきれぬことを欲するのだとも言えよう。ストア哲学者たちも、「運命は、きみが逆らえば、きみを引いてゆくが、きみが同意すれば、きみを導く」と言ったとき、同じことを考えていたのである。このようにして人間は、刑場に引いてゆかれるかわりに、みずからこれに向かうこともできる。だが、この例はあまりに極端だ。これはおよそ現実的な思考を廃棄してしまう。うまく死のうと、へたに死のうと、死ぬことに変わりはない。これにひきかえ、生きるという場合には、受けいれるのと余儀なくするのとでは大きな相違がある。行為自体が変えられるのである。運命が私たちを導くとはどういう意味か、はじめ私にはよくわからなかった。運命は私たちにたいして刻々に通路を──おしひしがれ悲観している人が足を入れぬ通路を提供してくれる、というのがその意味である。希望は多くの戸を開いたのだ。
 ……人々はとかく、「選択を誤った。もうとりかえしがつかぬ。こまったものだ」などと弱音をはいては、くじけてゆく。正しい観念は、これと反対に、当人が自棄すればどの選択も悪いが、よい意欲があればどれもよくなりうる、ということである。職業の選択はその職業を知るまえに行なわれるほかない以上、自分の職業を正しい理由から選ぶ人などありはしない。自分の愛を選ぶ人もありはしない。どちらの場合にも、選択を救うものは誠実である。誠実であることをこそ選択せねばならぬ。選択をよいものにすることを選択せねばならぬ。創作にあたり、自分の選んだ主題が美しくないことに気づく小説家もあろう。そして、たしかに、主題の選択を誤ったことを自分で自分に証明するのは、いともやさしいことである。だがまた、これはなんの役にもたたない。これでは何も書けない。なぜならば、美しい主題などというものはないのであり、誠実によってこれを美しくしなければならないのだからである。考えが展開するのを待ち、想念が躍るのをながめていては、失望を招かないような想念はおそらくひとつもあるまい。高邁な心で従ってゆけば、私たちの労にむくいぬ想念はひとつもない。同様に、心に誓えば、美しく偉大となりえぬような愛はおそらくひとつもあるまい。そして、最も美しい愛も、それが走るのをながめているだけでは、たいして伸びない。むしろ、腕に抱いて行かなければならないのだ、いとし子を抱くように。」
(アラン「誠実」)
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