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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<自分を味方につけるべき

山城 ……これについては『ラニョーの思い出』に興味深い話があります。それは、アランはなぜ戦争に行ったのかという問題にも繋がる。戦争に志願すべきかどうか、アランは死んだラニョーの亡霊と論争してたんですね。最終的には、亡霊に説得されて、四十六歳で戦争に行ったわけですが。そこで鍵になるのが、プラトンの『国家』の最後に出てくるエルの物語です。一旦、死んだ兵士エルが蘇生して死後の世界を語る。それによると、大平原に袋が積まれてあって、死後の魂はそこで来世の運命を自分で選ぶのだという神話ですね。たとえば、前世に貧乏で苦しんだ人は、その後悔から、金持ちになる袋を選ぶ。それを担いで忘却の河を渡って生まれ変わる。しかし、望みどおり金持ちに生まれてみると、誰もが富を目当てに自分に接近して来て、ありのままの自分と付き合ってはくれない、とか、追従に過敏になって人生にあれこれ不平を言うようになる。しかし、忘却の河の水を飲んですっかり忘れているけれど、実は全部自分で選んでいたという話です。同様に、別にこんな親、こんな家に生まれたくて生まれてきたわけではないよとか、僕らはしばしば愚痴るけど、それを選んだのはすべたあなた自身だったんだよという神話です。それが、アランが戦争に行くときにラニョーの亡霊との対話の中で根源的に問われた問題にある。……
 …………
 そう、この議論は下手すると宿命論に陥ってしまいますが、アランは宿命論に譲歩しない点では滑稽に見えることも辞さなかった人です。亡きラニョーの亡霊との論争においても宿命論との差異の襞を執拗に追究し続けたはずです。戦争であれ何であれ、未来のことを不可避だなどと諦めてしまわずに、常に現在の縁に立って、少しでも未来を変えていきたいと本当に思うのであれば、後ろを向いて「ああもありえたかもしれないのに」、「こうもありえたかもしれないのに」と歴史修正的に過去を動かそうとしてはいけない、現に今起こって今あることを、かりにそれが不本意で偶然のように見える場合もで、自分が選んだものとして引き受け、これを決して動かぬ足場として踏まえてこそ未来を開いていけるのだ、と。こういう一歩に求められるのはある種の勇気です。そして、それこそが考えるというそのことであり、自由であるというそのことなのだということを、戦争の坩堝を潜り抜けていく中で、身をもって経験したことがアランをアランにしたんじゃないかなと考えています。」
(「インタビュー 山城むつみ 選び取り進むこと」)
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