「小島 あとで「文學界」の新人賞になって、それで芥川賞の有力候補になったんですよ。
森 そういう人であるのに、僕は吉川英治の話ばかりするわけですよ。吉川英治でなくても、山本周五郎でもよかったんですけれども、当時は山本周五郎はなんでもなかったんで、ひとつ純文学に対して、大衆文学というものを見なおしてみたらどうかと。それは大瀬君という人があまりに純粋なんですね。あまりに純粋で、これじゃいけないから、肩をもみほぐそうと思ったわけですね。だから本当は大瀬君のために、わざわざ吉川英治の話ばかりしたんですよ。ところが、ほぐれるどころか、彼はすっかり悲観しちゃったわけですよ(笑)。だから、小島さんからいわれてやってきたのに、吉川英治の話ばっかりされちゃ困ると、こういうふうなことなんだけれども、彼は純文学に対して、両目が寄っちゃっているんですよ。それじゃものが見えない。彼は一点を凝視ばかりしているから、あまり凝視していると見えなくなるんですね。
たとえば白熊がセイウチをやっつけるときに、白熊もセイウチも両方立ち上がるんですよ。セイウチは巨大な体です。それは映画で見たんですけれども、白熊は黙ってセイウチを見ていますよ。だけど、ある瞬間スーッと視線をそらすんです。そのそらした瞬間セイウチは飛んでくるんです。その瞬間にたたくんです。隙を見せるんですね。だから僕はそういう意味で(笑)。
小島 森さんのほうは、ちょっとそらす形をとられたわけですね(笑)。
森 そう。それからもう一回たたけばいいと思って。あまりに純文学的なことに凝り固まっているから、これじゃ球を投げるにも投げられないと。それで実際に書けないといっていましたよ。書くことはたくさんもっているんだけれども、書けないんだと言ったですよ。……
…………
小島 ところが、そういう傾向はだいたい純文学をやる人には多いでしょう。要するに目が寄っているというのか。……彼は結局もっと重病になりましたけれどもね。だけども、僕らは、森さんもそうでしょうけれども、大瀬君という人からずいぶんおそわったんですけれどもね。精神科の医者でもありましたからね。いろんなことを教えてくれるんだけれども、本を読んでは、いいことをつかんできて言うんだけれども、さて自分が書くと目が寄ってしまうんですね。」
(森敦+小島信夫『対談・文学と人生』)