忍者ブログ

Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<精神を見る

「しかし、少量の愚鈍さというのも、作家にどうしても必要なものだ。これは、ひと所をじっと見つめなければすまない特質、すぐさま要点をつかんだりはできない特質のことである。対象を長く見れば見るほど、その中に多くの世界が見えてくる。覚えておいていいことだが、真剣な作家は、その描く場景がどれほど限定されたものだろうと、つねに世界の全体について書くものである。彼にとって、広島の上に落ちた爆弾は、現在のオコニー河あたりの生活にも影響を持つものであり、この相関は必定なのであって、彼がどうとも動かせるものではないのだ。
 …………
 聖トマスは、芸術を「理性の行使」と言った。これは非常に冷厳で美しい定義である。もしこれが、今日、広く受けいれられていないとしたら、それは理性がわれわれの間で力を失ってしまったからだ。恩寵と自然が二分したように、想像力と理性も別々になっているのが現状である。そして、このことは、つねに芸術の死を意味するものだ。芸術家は、自分の見るものすべての中に、照応する理性を見出すために自分の理性を使うのである。彼にとって理性的であるということは、対象の中に、状況の中に、事象の継続の中に、それらを独自の存在たらしめている精神を見ることである。これは容易ではないし、単純な仕事でもない。それは、時間を超えるものの中に踏みこんでいくことであり、真理への揺るがぬ敬意から発する暴力によってしか達成できない業である。」
(フラナリー・オコナー「小説の本質と目的」)
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
trounoir
性別:
非公開

P R