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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<現実を見ない

「そう考えてくると自ずから我が国民の「現実」観を形成する第三の契機に行き当らざるをえません。すなわち、その時々の支配権力が選択する方向が、すぐれて「現実的」と考えられ、これに対する反対派の選択する方向は容易に「観念的」「非現実的」というレッテルを貼られがちだということです。さきに挙げた戦前戦後の例をまた繰り返すまでもなくこのことは明らかでしょう。われわれの間に根強く巣喰っている事大主義と権威主義がここに遺憾なく露呈されています。むろんこうした考え方も第二の場合と同様、それを成り立たせる実質的な地盤があるわけで、権力に対する民衆のコントロールの程度が弱ければ当然、権力者はその望む方向に──少なくともある時点までは──どんどん国家を引っ張って行けるので、実際問題としても支配者の選択が他の動向を圧倒して唯一の「現実」にまで自らを高めうる可能性が大きいといわねばなりません。古典的な民主政の変質は世界的に政治権力に対する民衆の統制力を弱化する傾向を示しているので、上のような考え方もそれだけ普遍的となっているともいえますが、何といっても昔から長いものに巻かれて来た私達の国のような場合には、とくに支配層的現実即ち現実一般と看做され易い素地が多いといえましょう。この点も私達の判断をできるだけ綜合的にするために忘れてならない事と思います。
 …………
 私達の言論界に横行している「現実」観も、一寸吟味して見ればこのようにきわめて特殊の意味と色彩をもったものであることが分ります。こうした現実観の構造が無批判的に維持されている限り、それは過去においてと同じく将来においても私達国民の自発的な思考と行動の前に立ちふさがり、それを押しつぶす契機としてしか作用しないでしょう。そうしてあのアンデルセンの童話の少女のように「現実」という赤い靴をはかされた国民は自分で自分を制御出来ないままに死への舞踏を続けるほかなくなります。私達は観念論という非難にたじろがず、なによりもこうした特殊の「現実」観に真向から挑戦しようではありませんか。そうして既成事実へのこれ以上の屈服を拒絶しようではありませんか。そうした「拒絶」がたとえ一つ一つはどんなにささやかでも、それだけ私達の選択する現実をヨリ推進し、ヨリ有力にするのです。これを信じない者は人間の歴史を信じない者です。」
(丸山眞男「「現実」主義の陥穽」)
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