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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<心の稟質

「普通は感傷という言葉と図々しいという言葉とをどうしても一緒にしたがらない。それどころか真反対なものだと思っている。尤も言葉はどうにでも使えるから、私が勝手に変えてみるだけだといえばそれまでだが、感傷というものは感情の豊富を言うのではなく感情の衰弱をいうのである。感情の豊富は野生的であって感傷的ではない。感情が生理的に弱る事を人は見逃さないが、感情が固型化によって衰弱する事はしばしば見逃す。心が傷つくという事はなかなか大した事であって、傷つき易い心を最後まで失わぬ人は決してざらにいるものではない。ほんと言えば作家としてほんものであるか、いかものであるかという事は、こういう心の一種の誠実のみにかかると言っても過言ではないと私は思う。大概の心は傷つくまでにふて腐れちまうか、泣き出すかどちらかである。この場合、ふて腐れるのも泣き出すのも心に殻を作って、相手に対して自己を防衛する点で異なる現象ではない。人々は、ここで泣き出す方を感傷家で可愛らしい処があるなどという。そしてふて腐れる方は図々しいが現実家だというのだ。人は涙を流す時は安心している時だけである。うまくふて腐れる事が出来ない時、人は泣くのが都合がいいだけなのである。私には、図々しい、感傷的、概念的、という様な言葉が一つの心掛けの性質的規定として離す事が出来ぬ様に思われる。尤もこういう調子の話はわかる人には一と口でわかるし、いくら言ってものみこめぬ人は永遠にのみこまない種類のものだから、くどくど喋ると馬鹿をみる。」
(小林秀雄「昭和六年 文芸時評」)
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