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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<小説への挑戦状

「そして保田の思う小説の意義がここにある。それは驚くべき態度だ。結論を求めるべきでないとしたら、小説を読むとは一体どういうことか。保田は言う。読み手の中に作者の抱えた矛盾を叩き込むこと。それが保田にとって小説を読むことの意義である。保田が「文芸評論という形式に問題があった」としたのは、評論がなんらかの結論を──暫定的にではあれ──要求してしまうのに対し、小説という形式は矛盾をそのものとして描くことができるからという意味なのだ。対象はゲーテに限らない。偽の解決を求めるのではなく、いくつもの解決不可能な矛盾を体に埋め込むべく小説を読むという態度、それは恐るべき態度である。この真摯な読み方に耐えうる小説はいくつあるか。現実は、評論以上に小説の方が、偽の解決を描くことに満足していないか。あるいは解決できる問題を、ことさら本質的な問題のように描いてはいないか。
 逆にこう言うこともできる。ウェルテルは死んだがゲーテは死ななかった。矛盾をそれとして描くゲーテの筆は気力に満ちている。つまり逆説的だが、矛盾の感受は、偽の解決に伴う開放感とは別種の気力をもたらすのだ。それは世界という巨大な手応えをつかんだ者に生じる希望の条件なのだと感じる。退廃を退廃として肯定する保田のイロニーは、少なくとも『エルテルは何故死んだか』においては、上記のような質を獲得していた。それは「退廃の肯定」という浪漫派的イロニーからずれる。かりに保田自身においてさえ、この小説の読解が単なる方法に転落したとしても、私は保田のつかんだ認識は決定的だと思う。この認識がいかに持続されるかは、保田個人の問題であると同時に、保田だけの問題ではない。書き手の心に触れようとすること、矛盾を体に埋もうとする込むこと、その緊張感をいかに持続させるかに読み手の誠実がある。だがそこに、書き手と読み手という対立が残ることも事実であり、それについてはもっと考えてみる。」
(大澤信亮「保田與重郎『エルテルは何故死んだか』」)
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