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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<事故で世界が回っている

「ある飛行機が墜落するとします。それがある脆弱性によって墜落したならば、次の事故も同じ脆弱性によって墜落するだろうか。そうであるならば我々も考えやすいわけですが、実はそういう関連性のないのが普通なんですね。それはどういうふうに考えればいいでしょうか。
 …………
 事故が続けて起こるのはどういうことかについては、飛行機の場合はずいぶん研究されてるようで、私はその全部を知ってるわけではありませんが、まずこういうことがあるそうです。一つの事故が起こると、その組織全体が異常な緊張状態に置かれます。異常な緊張状態に置かれるということはその成員が絶対にミスをしまいと、覚醒度を上げていくわけです。覚醒度が通常以上に上がると、よく注意している状態を通り過ぎてしまって、あることには非常に注意を向けているけれども、隣にはポカッと大きな穴が開くというふうになりがちです。注意には大きく分けて二つの種類があって、集中型(concentrated)の注意と、全方向型(scanning)の注意があるわけですけれども、注意を高めろと周りから圧力がかかりますと、あるいは本人の内部でもそうしようと思いますと、集中型の注意でもって三六〇度すべてを走査しようとしますが、そういうことは不可能でありますし、集中型の注意というのは、焦点が当たっているところ以外は手抜きのあるものですから、注意のむらが起こるということです。注意の性質からこういうことがいえます。最初の事故の後、一般的な不安というものを背景にして覚醒度が上がります。また不安はものの考え方を硬直的にします。ですから各人が自分の守備範囲だけは守ろうとして、柔軟な、お互いに重なりあうような注意をしなくなります。各人が事実上孤立してゆくわけです。
 また、最初の事故の原因とされるものが、事故の直後にできあがります。一種の「世論」としてです。人間というのは原因がはっきりしないものについては非常に不安になります。だから明確な原因がいわば神話のように作られる。例えば今ここで、大きな爆発音がしますと、みんなたぶん総立ちになってどこだということと、何が起こったんだということを必死に言い合うと思います。そして誰か外から落ち着いた声で、「いや、今、ひとつドラム缶が爆発したんだけれど、誰も死にませんでした」というと、この場の緊張はすっとほぐれて私はまた話を続けていくと思います。たとえその原因なるものが見当違いであっても暫くは通用するんですね。そして、原因だとされたものだけに注意が集中して、他のものへは注意が行かなくなります。
 以上のように、それぞれ絡み合って全体として次の事故を起こりにくくするような働きが全然なくなる結果、次の事故に対して無防備になるのでしょう。」
(中井久夫「危機と事故の管理」)
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