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Lubricate us with mucus. ──2nd season 飛翔編

   Be fierce as fire is fierce.

( ゚Д゚)<小説だけが吐く嘘

「言葉は真理を表さぬとは現代に限った事ではない、言葉が嘘と共に生れた事実に就いては、私は先々月の時評に、口が酸っぱくなる程喋ったのだ。今更一言も語るのは厭である。言葉が社会の発展につれて、益々厖大な社会的偏見を孕むようになった十九世紀に至って、言葉を嘘から救助しようとする熱烈な文学運動が起った。この悲劇的な志は三人の天才の手から手に伝承されて、最後の一人は、言葉を愛する余り遂に言葉の表現を見失うに至った。三人とは、ポオとボオドレエルとマラルメであったとは人の知る処である。しかるに、彼等の背後には、以前から小説という一文学形式が、最も健康に肥大して悠々と流れていた。
 印刷機械が発明されて、人々は小説を楽しむという快楽を発見した、丁度、アメリカ発見が、文明人に喫煙の楽しみを齎したように。喫煙の楽しみが、今日既に楽しみの域を通り越して、人々の習慣となったように、今日小説の愛読は人々の第二の天性と化している。人々は、ただわけもなく小説を読んでは暇をつぶす。小説の隆盛は偏に大衆の加護による。では、何故に大衆は小説に味方したか。それは小説というものが、その根底において、言葉の社会性を信用するものであるがためだ。社会的偏見を肯定してかかるものであるがためだ。詩は詩という独立の世界を目指すが、小説は人生の意匠と妥協する。この小説の生れながらの大衆性に対して、敢然と叛逆した人物が、小説の開祖セルヴァンテスであったとは面白い事である。
 ポオとセルヴァンテスは、恐らくは、言葉の嘘に対しては同じ厭嫌と忿懣とを覚えたのであるが、ポオは、言葉からその社会性、通貨性を洗い落し、言葉の実体化、純粋化に近付き得るという信念の下に、言葉の嘘から逃れようとしたところを、セルヴァンテスは、詩的言語の自律性を信用せず、社会とともにある言葉の嘘をあるがままの嘘として高所より受け容れ、この嘘を逆用する道を選んだ。彼の時代にあって彼自身無意識のものであったとしても、このセルヴァンテスの発見した小説の根本原理は今日に至っても、いささかも傷つかない正統な小説理論であると私は信じている。マラルメがかつて大衆の手に渡った機会がなかったように、セルヴァンテスもまた大衆の手にあったと同時に、大衆の手を遥かに飛び去っていた。」
(小林秀雄「文学は絵空ごとか」)
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