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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<カラマゾフ万歳

「「おれは向こうで放蕩にふけっていた。さっき親父は、おれが女の子を誘惑するために何千という金を使ったと言ったな。あれは豚の幻想で、そんなことは一度もなかった。いや、あったとしても、《あのこと》のためにはびた一文必要なかった。だいたいおれにとっちゃ金なんてものはアクセサリーだ、魂の熱気だ、小道具にすぎないんだ。今日はこっちのご婦人がおれの女だと思うと、明日は町の淫売女が代わりをつとめる。その両方をおれは楽しませてやるんだ。金を両手でばらまいて、音楽だ、どんちゃん騒ぎだ、ジプシーだと派手に遊びまくる。必要なら、その女にも金をくれてやる。金となると、取るわ取るわ、みんな目の色を変えて取るからなあ。そいつは確かだ。そうしてみんな満足して、お礼を言うんだ。良家の奥さんたちもおれを愛してくれた。皆が皆じゃないが、よくあったのさ、よくあったんだ。もっとも、おれはいつも横町のほうが好きだった。広場の裏の、ひっそりした、暗い裏通りのほうがね、──そこのほうが冒険がある、意外な楽しみがある、泥をかぶった天然の金塊があるんだ。おれの言うのは比喩だぜ、アリョーシャ。あの町には有形の横町はなかったが、無形の横町ならたくさんあった。もっとも、お前にゃ、この横町という意味がわからんだろうなあ。おれは淫蕩を愛した。淫蕩の恥辱をも愛した。その残忍さを愛した。これでもおれは南京虫じゃないだろうか、害虫じゃないだろうか。何しろ、カラマゾフだからなあ! あるとき町じゅう総出のピクニックがあって、七台のトロイカをつらねて出かけて行った。冬のことだったが、闇につつまれた橇の中で、おれは隣りに坐っていた娘の手を握りはじめて、とうとうその娘にキスを承知させてしまった。かわいそうな、愛くるしい、内気な、おとなしい、官吏の娘だったがね。暗闇のなかだったものだから、その娘はいろんなことを承知したっけ。かわいそうに、おれが次の日やって来てプロポーズすると思ったのだ(おれは嫁さがしの最中とみんなに思われていたからな)。ところが、それっきりおれはその娘にひと言も口をきかなかった。五ヵ月ものあいだ一言半句も口をきかなかったんだ。よくダンスをしていると(あの町ではひっきりなしに舞踏会があったんだ)、おれにはその娘の目がホールの隅からじっとおれを見つめているのがわかった。その目が、火のように燃えているのが、──つつましい怒りの炎を燃やしているのが、わかったものさ。こういう遊びは、おれが体の中に飼っている虫けらの色情をいやがうえにも楽しませてくれるのだ。五ヵ月後に彼女はある役人と結婚して、町を去って行った。……おれに腹を立てながら、そうしてたぶん相変わらずおれを愛しながらな。今その夫婦は仕合わせに暮らしている。ただ、ひとこと注意しておくが、おれはそういうことを誰にも話さず、相手の名誉を傷つけるような真似はしなかった。おれは卑しい欲望を抱いて、卑しい行為を愛しちゃいるが、決して恥知らずな男じゃないんだ。おや、お前は赤くなったな。目がきらりと光ったぞ。お前あいてにこんなけがらわしい話をするのはもうたくさんだ。こいつはまだいわばポール・ド・コック風の序の口でね、その残忍な虫けらは成虫になって、おれの心の中でのさばっていたのさ。まったくなあ、アリョーシャ、一冊の堂々たる思い出のアルバムさ。ああ神様、どうぞあのかわいい娘たちを達者に暮らさせて下さい。おれは喧嘩別れをするのが嫌いだった。だから一度も秘密をもたらしたこともなければ、誰ひとり名誉を傷つけたこともない。もっとも、もうたくさんだ。お前はおれがこんな下らん話をするためにわざわざお前をここへ呼んだと思うかい? とんでもない、これからもっと面白い話を聞かせるんだ。だが、おれが恥じる様子もなく、かえって浮き浮きしているなんて、あきれないでくれよ」
「兄さんは僕が赤くなったものだから、そんなことを言うんですね」と不意にアリョーシャが口を出した。「僕が赤くなったのは、兄さんの話のためでも、兄さんのしたことのためでもありません、僕も兄さんと同じ人間だからなんです」
「お前が? そいつはちょっと言い過ぎだろう」
「いいえ、言い過ぎじゃありません」と熱をこめてアリョーシャが言った(この考えは前から彼にあったらしい)。「立っている階段は同じなんです。ただ僕がいちばん下の段にいるとすれば、兄さんはずっと上のほうの、十三段目あたりにいるんです。僕はこの問題をそう見ています。どっちにしても五十歩百歩で、まったく同じことですよ。いちばん下の一段に足をかけたが最後、結局は上へ昇って行かなければなりません」
「そうすると、ぜんぜん足をかけないことだな」
「そうできる人は、足をかけないにかぎります」
「じゃ、お前は──そうできるかい」
「たぶんできないでしょう」
「もう何も言わないでくれ、アリョーシャ、何も言わないでくれ。おれはお前のその手に接吻がしたい、そう、感動のあまりだ。それにしてもあの悪女のグルーシェンカは人間学の大家だなあ。あの女はいつかおれにこう言ったものだ、──そのうちにきっとお前を食べて見せるって。いや、やめた、もう言うまい! けがらわしい話はやめて、蠅だらけの野原から、おれの悲劇へ移ることにしよう。それだってやっぱり蠅だらけの、つまりありとあらゆる卑劣さにけがれた同じ野原だがね。他でもない、さっき親父のやつが純真な娘を誘惑したと言っただろう。あれは確かに出まかせなんだが、実はそういうことがおれの悲劇の中にあったんだ。たったいっぺんだけで、それもうまく行かなかったんだがね。親父はいい加減な作り話でおれを非難しただけで、それを知らない。おれは今まで誰にもその話をしたことはない、今お前に話すのがはじめてなんだ。もちろんイワンは別だよ。イワンは何もかも知っている。お前よりも先に知っている。しかしイワンは墓石だからな」
「イワン兄さんは口が固いんですか」
「そうさ」
 アリョーシャは非常に注意ぶかく聞いていた。」
(ドストエフスキー『カラマゾフの兄弟 第一部』)
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