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Lubricate us with mucus. ──2nd season 飛翔編

   Be fierce as fire is fierce.

( ゚Д゚)<うちの座長が言うことには

「僕は俳優に対していつも「共演者に対してリクエストを持て」ということを言っている。なぜか。演技がうまくいかない時、それが真に共同作業であると信じるならば「自分が悪かった」というある種の「潔い」態度は真に誠実ではありえないからだ。自己解決できると考えることは思い上がりだろう。(posted at 04:24:35)
自分の演技に良くない点があったから今のシーンはうまくいかなかった、という反省のスタンスもある程度は有効だこう。事実、明らかにそういった場面はある。しかし、どんな時でも自分の側に原因があると考えることはかえって相手の演技の価値を貶めてしまう。(posted at 04:25:44)
いい演技が成立する際には自分と共演者が、あるいは音響/照明などのテクニカルとが高いレベルで合致しているはずだ。自分だけがダメということはない。自分だけが良いということもない。いい演技はセッションの中でのみ発生するものであるから、修正もまた総合的に行われる必要がある。(posted at 04:27:36)
そんなわけで、当然、俳優は共演者に対してある種の要望を持つ必要がある。相手役がしょぼい芝居をしていても自分は名演技をできる、なんてことはない。相手役を信用し、頼るからこそ、要望を出さなければならない。リクエストを発しなければならない。(posted at 04:29:27)
ただ、そこに問題がある。好き放題にリクエストを相手に突きつければ、共演者の自由を奪うことになりはしないか? アーティストとして尊重すべきことを損なってしまうのではないか? 確かに、それは守るべき価値のあるものだ。共演者の演技プランを尊重しないでよいはずがない。(posted at 04:32:32)
では、それを回避しつついかにして相手役にリクエストを出すことが可能になるのだろう? 俳優同士の関係は、平等だ。演出家と俳優のようにある種の権力構造の中にそれはない。だから俳優同士はお互いに対しては非常に慎重に意見をすることになる。時には、何も意見しなくなる。(posted at 04:34:55)
何も意見をしないということが時には正解になる場合もあるだろう。だが、ある場面においては共演者に意見しないことはとても不親切にもなるし、失礼にもなる。だって共演者にリクエストがないということは、共演者に何も期待していないということだから。(posted at 04:37:10)
確かに、共演者に対して自分に都合のよい注文ばかりを出していてはわがままを貫くばかりになってしまうだろう。自分のエゴも必要だが、そのために相手の演技を犠牲にしてよいはずがない。相手を尊重しつつ、しかも期待している、とはどういう時に可能になるのか?(posted at 04:39:13)
それは、相手の身になって考えている時ではないだろうか。「身になる」とは面白い日本語で、この比喩的表現は示唆に富んでいる。本来は共有しえない感覚を共有しようと試みて、まさに相手の皮膚感覚を、痛みを、共有しようという態度、それが「身になる」ということではないだろうか。(posted at 04:41:19)
「優しすぎる」俳優は共演者にリクエストなど出さない。相手役を最大限に尊重し、相手の演技に変更を迫るのではなくて自分がいかにして相手役に適応できるかを考える。相手を一切否定せず、肯定し、ありのままの相手役と向きあおうとする。しかし、それは本当に「優しい」のか?(posted at 04:43:06)
共演者もアーティストであると信じるならば、共演者もまた常に自分の演技に安住せず、より良い演技を目指しているということを認めるべきだろう。つまり、共演者は自分の演技を全肯定などしていない。それは、あなたが自分の演技を全肯定していないのと同じように。(posted at 04:45:59)
共演者もまた、あなたと同じようにより良い演技に向かって発展している最中である。そうであるならば、共演者の演技をありのままに受け入れ、一切否定せずに受け止めることは、実は相手の本当の欲望とは大きくズレている。変化を望む相手に、変化を望まないことは親切ではないだろう。(posted at 04:48:01)
リクエストを出すことは、部分的には相手の演技を否定することになるだろう。それでいい。共演者はひたすら肯定されることを望んでいるわけではないのだから。目指すべきは良い演技であって、それは決して自分一人の力では達成できないものなのだ。だから相手の身になって考え、要望を出すべきだ。(posted at 05:00:24)
以上のような理由から、俳優は共演者にリクエストすることをためらう必要はない。それは、相手役を尊重することと矛盾しない。そしてまた違った観点から言えば、リクエストを出したところで共演者は自分の芸術観と合致しなければそれを拒絶することができるのだから、やはり遠慮することはないのだ。(posted at 05:05:07)
リクエスト、というよりはサジェストとか、オファーぐらいの言葉が適切なのかもしれないが、あえて僕はリクエストという言葉をいつも使う。それは、多くの俳優が抱える問題は要望の出しすぎではなくて、遠慮のしすぎだからだ。エゴのためにリクエストを遠慮なく発せられる俳優は、とても少ない。(posted at 05:06:59)
多くの俳優は、共演者が傷つきやすい存在であることを知っている。演技が精巧なガラス細工のようにもろいものであることを知っている。だから、遠慮する。配慮する。しかし、考えてみて欲しい。「相手の尊重」という言葉の裏で、守っているのは自分の身の安全ではないか?(posted at 05:09:15)
他者に踏み込むからには傷つけてしまう危険性はどうしても発生する。それでも、踏み込むこと。勇気をもって。その勇気とは、他者を傷つける勇気ではなくて、自分が傷つくかもしれない場所へ飛び込んでいく勇気だ。(posted at 05:11:37)
いくら相手の身になって考えてみようと試みても、失敗することはあるだろう。だからこそ注意深く、本当に共演者が望んでいることに耳を傾ける必要がある。そして、相手の身になると言っても本当に他者の痛みを知覚することはできないのだから、そこにはあらかじめ限界があることを知っておくこと。(posted at 05:14:12)」
(広田淳一@binirock「Twilog - 2016年05月29日(日)」)
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