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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<放蕩者の色気

「「ローマ風幕間劇」はドリュの恋愛におけるリズムや、放蕩の生活とそのうつろいやすい心情を、一つの恋あるいは交情の始めから終わりまでを扱うことでほぼ完全に描きだしている。誘惑にすぐ心ときめかし、また小さな倦怠に身も心もおかされ、すぐに乱行にひたり、無関心におちいるかとおもうと次の瞬間には真情にみたされ、愉悦は長もちせず、機会があれば逃亡し、金銭に屈服しつつ復讐を誓い、真の感動と忘却がいつでも隣あわせにある、ドリュ・ラ・ロシェルの内面の全体がここにある。自分を偽ることをせず、またできもせず、安定した心と信条、責任ある行動と愛情のいずれにも欠けているドリュは、しかしまた素晴らしい恋人でもある。かれは恋人によびだされれば、彼女が時間を盗んであらわれる短い逢瀬のためにわざわざコート・ダジュールやローマに行って生活することも厭わない男であり、その逢瀬の完全性のためにはつまらない見栄をもつこともなく、女性から懇請されれば他の男性が小さな誇りのためにあえてなしえない寄生的生活を送ることも平気なのである。つまりかれは「これまでにそこを何度も通り抜け、これからも再び通ってゆくであろう目に見えぬ戦慄」を求めそれだけを信じ、そしてかれの定まらない放蕩の生活はこの「戦慄」にのみ奉仕し、他のすべてを捨ててしまったがために必然的に課せられた生き方であるにすぎない。この「戦慄」はいつやってくるとも予想できず、誰がもたらすとも知れず、そして一度手にすれば途端に失われてしまうものなのである。かつてのドリュ、つまり「ローマ風幕間劇」以前の、ドイツ軍の占領下でのフランス=ファシズム樹立の希望が完全に絶たれる以前のドリュ・ラ・ロシェルの作品では、「戦慄」が永遠に持続する可能性が信じられ追求されており、運命的な「自分のための」一人の女性との結びつきの願いへと、政治的にはファシズムによるヨーロッパ再生の希望へとつながっていったのだが、すべてことやぶれたこの時期のドリュはこの「戦慄」のはかなさを認めることができ、はかなさのなかでのかけがえのない瞬間として捉えることで、自分の放蕩の経緯を、上昇してはすぐ落ちる感情の変化を余すところなく書くことができたのである。」
(福田和也『奇妙な廃墟』)
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