「だが、注意すべきは、現在の貧困をめぐる議論と比べたとき、小林〔秀雄〕の置かれた位相が今とは逆転しているということだ。小林は貧困や生活を主題とすること自体を批判したのではない。たとえば、中野重治や佐多稲子などのプロレタリア作家を高く評価し、三三年に編集委員として創刊した「文學界」では、武田麟太郎や島木健作などのマルクス主義からは転向したが、教条主義とは別に労働者の生活を描いた作品は率先して掲載した。彼が叩いたのは、口だけは偉そうだが、そのじつ、社会や科学や主義や親分その他を当てにしなければ何一つ言うことができない、虚弱で不自由な精神だった。
小林は、文学に有用性を求める〈社会科学を担ぐ文芸批評家〉を批判して言った。〈印象批評というものは新規まき直しに精算さるべきものである。これが現今の学者的良心もなく作家的情熱もない、往来の犬の糞のように無益な、広目屋のように騒々しい文芸批評家達を精算する唯一の道である〉(「新興芸術派運動」)。これが口にされたのは「批評か科学か」という話題それ自体が業界のネタ化している現在のような状況下ではない(そんな話とは無関係に、作家たちは自分の表現を磨いているし、読者もそんな対立など知らない。また運動側も基本的に文学に興味を持っていない)。谷崎潤一郎の「卍」や江戸川乱歩の「蟲」をそっちのけに、労働運動や社会問題が大々的に論じられる誌面上において、彼が、ほとんど場違いのような「文学的」な孤軍奮闘を開始した勇気が決定的なのだ。
自己を知ることのなかに社会を知ることがある。客観的な社会意識などに目配せする必要はない。そんなものを求めてしまう自分の心をまず問え。その心のなかに、科学主義やマルクス主義や芸術至上主義といったイデオロギーでは片づけることができない、真に厄介な「社会」があるだろう。無数のイデオロギーを暇つぶし的に喰い散らかしながらビクともしない、かと思えば、それらを喰い散らかせなくなること自体には不安でビクビクしている、君自身の姿が見えるだろう。そこから始めてくれ。
この「自分への問い」=「内省」を自分にも他者にも強いるのが小林秀雄の言語使用の最大の特徴である。」
(大澤信亮「復活の批評」)