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Lubricate us with mucus. ──2nd season 飛翔編

   Be fierce as fire is fierce.

( ゚Д゚)<脳が忙しい

「米国の神経生理学者ベンジャミン・リベットによれば、人間が自発的行為を実行する時、その意図を意識するのは脳が行動を実行しはじめてから〇・五秒後である。脳/身体が先に動きだし、意識は時間を置いてその意図を知る。しかも、意識は自分が身体に行動するように指示したと錯覚している──ということである。
 …………
 これが正しければ、意識による「自己コントロール」は、まちがって踏みはじめたアクセルにブレーキを遅ればせにかけることになる。そして、意識は、追認するか、制止するか、軌道を修正するかである。……意識はすでに判断者なのである。抑止は、追いかけてブレーキをかけることである。〇・五秒は、こういう時にはけっこう長い時間であり、「車」はかなり先に行っている。
 …………
 実験にもとづくリベットの説は、私たちが私たちのどうすることもできない力にふりまわされていることを示しているのではない。彼は、その主張の根拠を、脳/精神全体の情報処理能力(「自分」の機能)と、意識の情報処理能力(「私」の機能)との格段の差に帰している。感覚器からの入力を脳が捕捉して情報処理する能力は毎秒一一〇〇万ビットであり、意識が処理できる量はわずか四〇ビットだと彼はいう。脳全体が判断して行動を起こしつつある時、その一部を多少遅れて意識が情報処理するということである。彼によれば、自由意志という体験は、「自分」が「私」に処理をまかせている時に起こる。瞬間的な決断に際しては「私」とその自由意志は一時停止し、「自分」が脳全体を駆使して判断するという。彼は神経生理学の立場から脳全体の機能を「自分、セルフ」といい、意識の機能活動を「私、アイ」という。……欧米のように意識を非常に重視する哲学的風土においてはショッキングであろうが、私にはむしろ、そう考えるとかえって腑に落ちることが少なくない。日常生活でも、服を手にとってから「あ、私、これが買いたかったのよ」と言う。「この人と友達になろう」と言う時はすでにそうなりつつある。熱烈なキスでは、行為は相手と同時に起こり、唇を合わせてから始めてキスしているおのれを意識するのが普通であろう。おそらく、行為は、互いに相手からそれこそ意識下の情報をくみ取りあって、「セルフ」のほうが先に動くのであろう。「愛している」という観念が後を追いかけてきても、その時は熱情はいったんヤマを越していて、改めて、深くキスしなおすということになるであろう。プルーストの小説のように、相手の頬の肌の荒れなどを観察しつつ、唇が合わさるように持ってゆくのは、例外的な「意識家」であり、モームの小説に出てくる、スピノザの哲学書をよみながら性交をする男に似てfrigidであろう。意識が精神全体の、さらには心身の専制君主であるわけではないということである。
 「アイ」は、歩き馴れた道を歩くような時にも「セルフ」に多くを任せているのであろう。階段がもう一段あるつもりで足を踏み出した時に起こる不愉快な当て外れ感覚は「パニック」の例によく挙げられるものであるが、パニックを起こしているのは「アイ」であろう。段差に気づかずに転倒する時、気づくと受け身の姿勢をとって身体の要所を庇っていることがある。これなどは「セルフ」はよく働いた場合である。この「無意識」はベルクソンが無意識の例として挙げているものに近い。彼は、身体的な多くの機能が意識の指示を待たずに円滑に動いているからこそ、意識が本来の自由な活動にひたれると考えていた。」
(中井久夫「「踏み越え」について」)
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