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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<優しい酷薄

「ジルはモール海岸に一軒の小さな家を借り、気も狂わんばかりの孤独のうちにのたうちまわっていた。近辺には友人もいたが、みじんも会う気がしなかった。慰めなど必要としていなかった。泥酔しようとしたけれども、苦悩の重さにくわえて酒の重さときては、どうにもやりきれぬほど重苦しい気分だった。《ぬかに釘だなあ》一日中こんな陳腐な文句をくりかえしていた。この孤独をうべなわなければならなかった。それは彼の苦悩の実体そのものだった。孤独感はとほうもなくふくれあがってきて、まぎれもない彼の運命そのものとなった。《人間の運命を裸形のままに認識できることが、おれに与えられたこのうえなく貴重な才能だ、孤独な者たちは人間の嘘いつわりのない状況を、あますところなく告白している》と、彼は滑稽な荘重さで口にだしてみた。この宿命が彼の男との関係のみならず女との関係をも冷酷に支配していた。男との関係ではそれもがまんできた。とどのつまり、苛酷さこそ男どうしの規則だからである。しかし女との関係では、優しさを信じたくなる。《この海はやはり優しい》家はおだやかな地中海にたえず洗われている岩の上に切り立つように建っていた。一月という月はおだやかで、海もおだやかだった。寄せては返す海の動きは、それ自体の逸楽と人間の逸楽のためでしかないように見えた。とはいえ、海はただひとつの残酷な鼓動でしかなかった。それに、朝から晩まで痴呆のごとく眺め入っているこの光景は、彼には無縁のものだった、ちょうど戦争中、砲弾のふりしきるなかで読んだパスカルのように。知恵の観念は彼には不当な神話と思えるのだった。
 ジルはミリヤンを思いだした。すっかり気弱くなり、ペンをとることしか念頭になく、人生のこの最初の経験について書きはじめた。いいようのない索漠感、恩寵から見放された神秘的魂をせせら笑っている恐ろしい涸渇に、ペンはきしんだ。わずかなペンのきしみだけが沈黙にさからっていた。しかし彼はわずかな時間、料理や家事をしにくるひとりの女の出入りをがまんせざるをえなかった。その女はうす汚かったけれども、年も若くかなりの美人だった。社会のあらゆる階層の人間、とくに庶民がひとり暮らしの男に感じている根深い不信感を、彼女も隠しはしなかった。
 現状のようなドラのことを、彼はあまり考えなかった。嘆かわしい幾通かの手紙が彼女からきた。手紙をしたためる暇もろくろくないというようなことを書き、一服の鎮痛剤がわりにふたりがいつか幸福になれるときのことをあれこれ想い描いていた。要するに、むりやりでっちあげた、真情のこもっていない手紙だった。」
(ピエール・ドリュ・ラ・ロシェル『ジル』)
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