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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<人間未満2

「金のないとき、私は、よく、物を食うのに金が要るというのは何という不合理なことであろうかと思った。何か食うということは空気を吸うのと同様、人間の生存の絶対不可欠の条件であるのに、空気のほうは只で、食う物には金が要るというのはおかしいではないか、と思うのである。
 ところが、それがとんでもない思いちがいだったということに、つい最近、「ゆかいな仲間」という動物映画を見て、私は気がついたのであった。その映画はアフリカのどこかの砂漠に棲む動物の生態を描いているのだが、そこで物を食うために、つまり生きて行くためには、あらゆる動物は一日の一瞬毎にいのちがけでなければならない。彼等は物を食うのに金を払ったりはしないが、金を使わずに物を食うということがこんなに大変なことだとは私は知らなかった。これではたまったもんじゃない。金の苦労はあっても、私はやはり人間であってよかったと思った。
 …………
 「ゆかいな仲間」の初めのほうに、砂漠に棲むサイドワインダーという蛇が登場して好物のトカゲを追跡するが、この蛇はその名の通り、砂の上を横に走る。なるほど、砂の上を直進しようとすれば、いくら蛇行するとしても、車がぬかるみでスリップするようにスリップして走れまい。それでこの蛇は深いS字型とそのS字の裏返しとの激しい屈折運動を反覆し、反覆の力をバネに使って、砂の上を横這いにすっとんで行く。疾走する蛇の姿は恐ろしく、しかもダイナミックで、何とも言えず美しい。
 まことに唐突な連想だったが、私は、大家新人を問わず、いまの絵がみんなつまらないのは、この蛇のこの美しさがないからなのだ、と、ふと思った。死んだ菊岡久利さんがお座敷洋画ということを言ったが、きれいに身づくろいして、お客の顔色を伺って愛想笑いをしているような絵ばかり多くて、世の中がこう平和では無理もないが、すべてがコマーシャリズムの支配下に在る今日、見ていて恐ろしくなるような絵というものは、いまや全く見られないのである。」
(洲之内徹「蛇と鳩」)
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