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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<表層の暴力

F・B それには、もちろん理由があると言えるでしょう。私は一九〇九年にアイルランドで生まれました。父が馬の調教師だったので、カラッハ〔有名な競馬場がある〕からさほど遠くない所に住んでいました。カラッハにはイギリス騎兵連隊の練兵場があり、今でも覚えていますが、一九一四年に戦争が始まる直前にはうちの私道で連隊が馬を走らせて大演習をしていました。戦争中、私はロンドンに連れていかれ、そこにかなりの期間いました。その頃、父は陸軍省にいたものですから。そんなわけで、私は幼くして危機が訪れる可能性とでもいうものを意識せざるをえなかったのです。それからアイルランドに戻り、独立を目指すシン・フェイン党がイギリスへの抵抗運動を繰り広げる中で成長しました。一時期、祖母と一緒に暮らしました。祖母は何度も結婚しましたが、当時の夫はキルデア州の警察長官でした。家のまわりには土嚢が積んであり、外に出ると車や荷馬車をおとしいれるために掘られた溝が道を横切っていて、その両端では狙撃手が待ち構えていました。……そういうわけで、何かしら暴力的な環境で生活することに慣れっこになっており、たぶんその影響を受けていると思います、確信はもてませんが。でも、私の人生についてまわった暴力、私を取り巻いていた暴力は、絵に表現されている暴力とは違います。絵の暴力性、それは戦争の暴力とは何の関係もありません。現実それ自体の暴力性を再構成する試みなのです。そして、現実の暴力性とは、バラや何かの色が強烈だという意味の単純な暴力のみではなく、絵だけが伝えられるイメージそのものが暗示する暴力でもあるのです。こうしてテーブル越しにあなたを見るとき、私はあなたを見ているだけではなく、あなたが発しているものをすべて見ています。人は必ず何かを発しており、それは性格など、その人のあらゆる側面と係わっているのです。それを自分の望みどおりに肖像画で表現すると、暴力的な絵に見えるのでしょう。たいていの場合、私たちは覆いの中で生きています。存在が覆い隠されているのです。ときどき思うのですが、人が私の作品を暴力的だと言うのは、たぶん、ときとして私がそうした覆いやベールを一、二枚はがすことに成功しているからでしょう。
D・S ひとつはっきりしているのは、たとえばムンクのような画家と異なり、あなたは絵を通じて人間の本質について何かを語りたいとは思っていないということです。
F・B ええ。思っていません。自分の神経組織が受け取ったイメージをできるだけ正確に描こうとしているだけです。そのイメージの意味は半分もわかりません。私は何も語っていません。ほかの画家が他人に何かを語っているのかどうか、知りません。でも、私は本当に何かを語ろうなんて思っていません。ムンクと比べると、作品の美的な性質により大きな関心をもっているからでしょう。ただ、ほかの画家が何を言おうとしているのかは、よくわかりません。つまらない画家は別ですよ、フュースリとか、そういった類の人が言おうとしていることは見当がつきますけどね。」
(デイヴィッド・シルヴェスター『肉への慈悲──フランシス・ベイコン・インタヴュー』)
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