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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<視覚の破砕

「言い換えよう。後期セザンヌの風景画は、レイヤー状のパッチが重ねられていくテーブルのような空間ではない。それは、ストロークを投げ入れるたびにカンヴァスの全体に波紋を広げる「液面」に近い。「液面」という言葉が、最終的な波紋の沈静化(=鏡面化)というニュアンスを帯びてしまうなら、ストロークを投げ入れるたびに熱く溶解して新たな波紋を記録するような、可塑性と準-固定性をもった特殊な液面を考えれば良い。多数のストロークが投げ入れられた液面は沸き立ち、深さ方向に多重の波をつくる。後期セザンヌの多くの絵画において、「塗り残し」が積極的な構成素として働くのはそのためだ。数十個のクラスター・ストロークが散りばめられた最晩年の《ローヴの庭》は、塗り残しにもかかわらず、むしろ塗り残しをその周期構造の一部として、輝きを増しながら沸騰している。
 …………
 後期セザンヌの風景画を「見る」とは、見ることの只中で視覚が砕かれていく経験である。私の視覚は、気がついた時にはすでに激しく震動するリズムに巻き込まれている。後期セザンヌの絵画は、強力な巻き込みの力を持つ。その力は、絵具の物質的な官能と、画面の多重周期構造に由来している。私はその多重周期構造から、距離を取ることができない。そこではいわば、定位の任意性が欠けている。単一の周期構造(縞)は定位も脱定位も容易である。だが複数の周期構造の重ね合わせ(モワレ)はそうではない。一つのリズムに乗ろうとした途端に、別の周期構造が現れる。あるリズムから足を洗おうとした途端に、別のリズムに呑み込まれる。定位の不確定性が画面を震動させる。震動は、それを意識した時にはすでに私を呑み込んでおり、絵具の物質的官能に吸い寄せられる私の身体を内側から激しく揺さぶっている。」
(平倉圭「多重周期構造──セザンヌのクラスター・ストローク」)
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