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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<絶対的内在性は誤りである

「フロイトの催眠放棄──すでに十分過ぎるほど論じられてきたこの決断の過程には、患者の抵抗以外にフロイト自身の内的葛藤を含めた複雑な力線が交差を描いている。まずそれは催眠の技術上の問題であった。つまり、患者のすべてに催眠を施すことができず、また患者を思いどおりの催眠状態にすることができなかったのである。さらに、催眠の効果は一過性で、症状はぶりかえしを見せることが多い、ある種の患者の抵抗を取り除くことができない、また抵抗を人工的に取り除くので抵抗の分析ができないなどといった理由があった。
 しかし、やはり催眠放棄の動機として最も重要なのは、フロイトのテクストに見られる次のような事件であろう。
《私の女性患者の一人であったが、その人の疼痛発作をその誘因となっているものまでさかのぼることによってその苦痛から解放してやったときのことであった。覚醒するや、その腕を私の首に巻きつけてきたのであった。…(中略)…このときからわれわれは暗黙のうちにではあるが、催眠法を続けるのをやめることに一致したのであった。…(中略)…そしていまこそ催眠法の背後にはたらいている神秘的な要素の本性を捕らえたのだと考えたのであった。それを除外するか、少なくとも切りはなすためには私は催眠法をやめなくてはならなかったのであった。》(『自己を語る』懸田訳)
 多くの論者はこの事件をフロイトの(性愛的)転移の発見と結びつけて論じている。だが、そのような現象ならフロイト自身、以前から十分に知っていた。またもちろん、この事件によってフロイトは転移という現象を概念化できたわけでもないから、転移という現象に関してこの事件が大した意味を持っていたわけではない。この事件がフロイトの歩みにおいて重要なのは、多くの論者が言うようにフロイトが転移を発見したからではなく、〔催眠法への反発から〕精神分析への欲望が明確に示されたときだからである。この精神分析への欲望は抵抗という形をとって現われている。しかも、この抵抗によって自由連想法が発明されたということを考えるなら、それは精神分析の起源に位置する抵抗精神分析そのものの抵抗と言えるものだ。だが、それは何に対する抵抗なのだろうか。
 それを催眠の性的要因と答えるのは正しくないだろう。フロイトが「催眠法の背後にはたらいている神秘的な要素の本性」と呼ぶものは、「性」と表現されるものより、もっと根源的な関係のことだ。それを適切に名づけるのはその性質上困難だが、あえて表現するなら、催眠に内在する表象不可能なある直接性、あるいは絶対的内在性といったものである(これをボルク=ヤコブセンなら原初的情動関係と呼ぶだろうし、ミシェル・アンリなら端的に「生」と名づけるだろう。……)。」
(十川幸司『精神分析への抵抗──ジャック・ラカンの経験と論理』)
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