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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<愛することを学ぶ7

「こうした狡知に一見したところ矛盾するように見えるさらなる特徴がある。それは、〈他者〉が介入するのは、主体が自暴自棄で自殺的行為に走り、挑戦的な否認の身振りをもってすべてを危険にさらす覚悟を表明し、道具主義的理性による小細工をすべて放棄したそのときであるという点である。私が取引に汲々としているかぎりで、いわばそろばんをはじいた上で自己犠牲を申し出るかぎりで、要するに最後の瞬間の救いの介入を当てにしているかぎりで、〈他者〉は決して応答することはないであろう。〈恩寵〉とは、ジョン・エルスターが「本質的に副産物である諸状態」と呼ぶものの一例なのであるから。つまり、それが与えられるのは、われわれがすべての望みを放棄し、それを頼みにすることをやめたときなのである。この状況は、究極的には、アブラハムが自身の息子を犠牲にせよと〈神〉の命令を受け入れた状況と同じものである。彼はその命令にしたがったがゆえにこそ、その命令を実行せずともすんだ。しかし、彼はこのことを前もって知ることはできなかったのである。また、いわゆる「大人の恋」を規定づけているものもこれと同様の逆説ではあるまいか? 子供っぽくあなたに甘えたりしない、あなたがいなくても生きていけるということを、手段はどうあれ相手に知らしめて初めて、その相手は私の愛を受け入れることができるのである。ここにこそ真の愛の試練がある。あなたが私の愛を受けるに値するのは、別れを告げてみたときに、その別れに耐えうることをあなたが示すことができたときのみなのである。」
(スラヴォイ・ジジェク『否定的なもののもとへの滞留』)
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