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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<セイレーンの声

「ホメーロスの物語の一つのうちには、まだ神話と支配と労働との絡み合った姿が保存されている。『オデュッセイア』の巻十二の歌は、セイレーンたちのそばを通っていく航海について述べている。しかし誘惑の的となる英雄は、刻苦して成人へと成熟を遂げた。幾たびも死地をくぐり抜けざるをえなかった試練をつうじて、彼自身の生と統一性、人格の同一性が鍛え上げられてきた。海と陸と空のように、彼にとって時間の領域はきっぱりと分れている。彼にとっては、かつてあったものの潮は現在の巌に当って引いていき、しかも未来は雲のように水平線上に霞んでいる。……過去、現在、未来と三つに分けられた図式は、過去を、もう取り返しのつかない絶対的限界の背後に追いやり、実地に役立つ知識として、それを今のために利用することによって、現在の瞬間を過去の力から解き放とうとする。過ぎ去ったものを、進歩の材料として役立てる代りに、むしろまだ生きているものとして救出しようとする熱望は、ただ芸術のうちでのみ充たされてきた。……芸術が認識と見なされることを諦め、かつそうすることで実践と手を切るかぎり、芸術は快楽と同様、社会の実生活から寛容にあつかわれる。しかしセイレーンの歌は、まだそういう芸術になるほど無力化されてはいない。彼女たちは、「みのり豊かな大地の上におこったかぎりのすべて」を知っている。なかでもオデュッセウス自身のかかわりあったこと、「トロイアの野でアルゴスの息子たちやトロイア人たちが、神々の御心によって多くの辛苦を重ねた事の次第」を、すべて知りつくしている。セイレーンたちの歌声は、聞く者の耳には快楽の抗いがたい約束として響く。彼女たちは、今過ぎ去ったばかりのことをじかに哀求することによって、時間一杯を生きるまでは誰にも引き返すことを許してくれない家父長制秩序を、約束の歌声をもって脅かす。……その歌声を聞く者は誰一人として逃れることはできない。自我が、つまり人間の自己同一的、目的志向的、男性的性格が、創り出されてくるまでには、人間は恐るべき試練に立ち向かわなければならなかった。これに類することは、誰にとっても幼年時代に繰り返されている。自我の全一性を保持する努力は、自我のどの段階にも付随しているし、自我の喪失をさそう誘惑は、自己保存への盲目的決意と常に相伴っていた。……自己を喪失しはしまいかという不安、自分と他の生とを隔てる境界を自己もろともに廃棄してしまうのではないかという不安、死や破壊に対する危惧、そういったものが、文明を不断に脅かしてきた幸福への約束と一つに結びあっている。文明の道は服従と労働との道であった。そしてその道の上では、約束の充足は、いつもたんなる仮象として、弱々しい美として輝くにすぎない。自己の死にも幸福にも等しく立ち向うオデュッセウスの思考は、この間の事情によく通じている。彼が知る脱出の可能性は二つしかない。その一つを彼は同行者たちに指令する。彼の命令で耳を蝋で塞がれた同行者たちは、渾身の力をふりしぼって船を漕がなければならない。生き残ろうと欲する者は、取り返しのつかないものの誘惑に耳をかしてはならないし、耳をかさないようにするためには、誘惑の歌が聞こえないようにしなければならない。社会はいつもそのように配慮してきた。労働する者たちは、生き生きと脇目もふらずに前方を見つめ、傍に何が起ろうとも構ってはならない。脇道に逸れようとする衝動を、彼らは歯を喰いしばって、いっそうの奮励努力へと昇華しなければならない。こうしてこそ彼らは実用に耐えるものとなる。──もう一つの可能性を選ぶのは、自分のために他人を労働させる領主としてのオデュッセウス自身である。彼はセイレーンの歌を聞く。ただし彼は帆柱に縛りつけられたままどうすることもできない。誘惑が強まるにつれて、彼はいっそうしっかりと自分を縛りつけさせる。それはちょうど後代の市民たちが、自分たちの力の増大とともに身近なものとなった幸福を、それが近づいてくればくるほど、いっそうかたくなに自らのものにするのを拒んだのと似ている。何を聞いたにしても、それは彼には何の結果ももたらしはしない。ただ彼にできるのは、頭を振って縛めを解けと目くばせすることだけである。……彼が自分を実生活に取り消しようもなく縛りつけた縛めは、同時にセイレーンたちを実生活から遠ざけている。つまり彼女たちの誘惑は中和されて、たんなる瞑想の対象になる。芸術になる。縛りつけられている者は、いわば演奏会の席に坐っている。後代の演奏会の聴衆のように、身じろぎもせずにじっと耳を澄ませながら。そして縛めを解いて自由にしてくれという彼の昂った叫び声は、拍手喝采の響きと同じく、たちまち消え去っていく。こうして先史世界からの訣別にあたって、芸術の享受と手仕事とは別々の道を辿る。この叙事詩はすでに正しい理論を含んでいる。文化財と命令されて行われる労働とは、相互に密接な関連を持っている。そしてこの両者の基礎にあるのは、自然に対する社会的支配への逃げることのできない強制力である。」
(ホルクハイマー+アドルノ「オデュッセウスあるいは神話と啓蒙」)
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