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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<ロマンが止まらねェ2

「青年期の性急さ、無邪気さによる致命的な欠陥が顕著とはいえ、そのうえ当時の文学流行にそれらの欠点が助長されているのだが、この『ある戦いの記録』にはつぎのような注目すべき点がある、即ち以後の短篇物語や長篇小説の主要なテーマを先取りしながらも、カフカが『判決』や『審判』の作者となる前に片づけていなければならないすべてのものをそっくり表現しているということであって、いうまでもなく『判決』や『審判』の作者は、詩 Dichtung に抒情的発露を放棄させ、詩を実験報告、報道記事、行政報告たらしめるのである。彼が自分のなかにもち、やがて彼自身の法廷へ喚問しつづけることになるところのロマン主義的なものから直接出てきたこの短篇小説は、彼が心に銘記すべき警告である、それというのも、自分の実存が結びついた現実世界での自分の現実の立場を認識するとき、彼は、言語の魔術的な作用によせる自分の信仰の奥に、膨大な部分を占める子供じみたごまかしと幻想に気づくからだ。彼の個人的な戦いが先鋭な状態に入る時期には──ユダヤ教の発見と婚約による危機とがそのころつくりだす二重の試練の結果であることを思い出しておこう──、彼にはもはや、この短篇小説の一人物が、自分のそばに女性など一人もいないのに誇らしげに《婚約者》になりすまして破廉恥にも片づける風に、自分の人間関係の問題を片づけることができない。彼はまた、気のきいた文句や、詩的でもあれば突飛でもある新しい名称の威力だけによって、世界をやりこめてやった、つまり欺瞞を恥じ入らせ認めさせたと、吹聴して満足することもできないのである。……
 …………
 いま彼が行おうとしているこの真の戦いを描写するためには、カフカはまず初期の作品で許している安易さを自分に禁じなければならないのであって、それは、彼と世界という敵対者の双方における力と弱さの混淆という、すべて生きた有機体がそうであるように当然双方を形づくっているものを尊重するためだ。とりわけ彼の仕事は、あの要求することの多く、何かといえば自分の存在の傷口や割れ目をたえず見せびらかし、そのくせ優越感にはどっぷりつかっている主人公、冗漫なロマンティスムやうまく隠せない矜持と一緒になって、結局は現実に対しても文学に対しても同じように害悪を与える、そんな主人公から離れることである。ここでこの主人公は、特定の思想的態度──子供っぽいナルシシズムといえる《言うことは即ちなされたということ》への信仰、ちなみに同時代の表現主義は、これに現代性という魅力をつけ加えているのだが──の直接の産物であるから、カフカが彼から離れることができるには、まず当時の彼の文学的思考を満たしているところの、大なり小なり意識的な既成の観念を根こぎにするより他ない。そして、厳しく純化された作品のなかでこの訣別を完成するには──この作品のためには、彼が根底では依然そうであるロマン主義者と、これまた疑う余地なくそうである不変のレアリストとが協力しなければならないだろう──自分の仕事に対する考え方全体を、もっと正確に言えば書き方(エクリチュール)そのものを、彼は発明しなおす必要があるのである。」
(マルト・ロベール『カフカのように孤独に』)
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