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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<自己喪失ギャグ

「フランツ・カフカ(一八八九)……現代社会の勤務生活者として(カフカは労働災害保険局の局員だった)さまざまな障害に詩人的欲求を嘲弄され、また紛らわされながら、なおかつ彼は独特な執拗さをもって、自己の生をひとつの不変な意識へと試作(dichten)しようという試みを生涯にわたって繰返した。そして、その間に詩人的な欲求と詩人的現象の喪失との矛盾についてさまざまなイロニーが彼によって表白されたが、トーマス・マンの如く自己を作家(schriftsteller)として限定する事は彼にはなかった。例えばカフカの日記は同時に習作ノートであり、その中において日々の個人的な記述と詩作の修業とは互にほとんど区別がつかないものであった。また、彼の主要な作品の幾つかは彼自身のまだ日の浅い体験のきわめて直截な形象化であり、特に「審判」と「城」においては主人公達はKなる頭文字のみを名に与えられ、彼らが彼らの追求の途上で出会する女性達はその頭文字を、当時カフカに深刻な体験をもたらしたある女性の名前から与えられている。さらに父親や愛人へあてた手紙において、カフカは孤独の中で育てたネガティーヴな自己像を、彼と直接に生を触れ合っている人間達に対して容赦なくつきつけた。父親に対しては、父親の影響によってもはや救われ難い不幸な存在へと定められてしまった自分の姿を、情熱的に迫る女性に対しては、「不安」と婚約していてもはや如何なる愛にも答えられぬ自分の姿を、カフカは幾様もの鮮やかな比喩をもって表現した。
 しかし、このような事柄に見られる容赦なき自己意識への密着に、厳しい「絶望」に反して、「審判」や「城」の主人公達は自己の本質を意識し続ける事を独特な風に妨げられている。彼らはいわば絶望の品位をいささかも持たず、願望に繰返し駆り立てられては、自己を見失う。そして、カフカはそのような自己喪失の不安と笑止さを表現することに著しい力と関心を持っている。それでは、「審判」や「城」の主人公達における自己喪失と、例えば手紙におけるカフカの苛酷な自己集中とは如何にして統一されるのだろう。しかも、この両者はカフカの婚約破棄という同じ体験から生じたふたつの自己把握の表現であった。」
(古井由吉「「死刑判決」に至るまでのカフカ──ある詩人の「絶望」に至る過程」)
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