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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<偽造された共時性-現在性

「一般に、カフカの芸術に固有な魅惑の種類を説明するにあたって、日常の細心精密な、ほとんど衒学的な観察に幻想的なものを結びつけるという、その新機軸の手法を指摘する、しかしながら、まさしくそこにはいかなる幻想的なものもない。魔法、驚異、不条理な暴力のたえまない侵入はきわめて明確に、現実の決定的な諸事実を、たとえ仮面をつけていようと、だれでもその数多くの結果が自分に及んでいるのを観察できるような諸事実を転写するにすぎない。カフカの確認によれば──この確認が彼の作品のなかで、世の秩序についての叙事詩風な陳述の代りをすることに注目しよう──、個人は自分自身の生活の新しさ、未曾有の現在性を理解することも、知覚することすらできない。自分の生存を理由づけようとして、個人はいつも過去に倫理的、宗教的、審美的な弁明を求める。その弁明は教育や文化によって伝統的に伝えられており、彼の精神においては、現在性そのもののために疑問の多い新しい状況の要請よりも現実感が高い。たとえ行動を目指して客観的で慎重な判断をすると主張しても、結局は彼自身の真実と一緒になる伝統的表象、古い集団的イメージに支配されている。「古いもの」の魔法が、過ぎ去った時代の掟、理想、精神的かつ実際的な目的を法律上の秩序に変形するのにたいして、現在の諸問題はかなり以前から知れているもの、したがって解決済みのものと見なされる。かくして、中国の年代記(「万里の長城が築かれたとき」)の驚くべき錯乱について説明がつく。すなわち、その錯乱のおかげで、国民は数世紀前に崩御した皇帝を崇拝し、畏敬するが、今上皇帝の実在を信ずることを拒むのである。カフカの作品のいたるところで、「古いもの」の潜在力、目に見えない最古の掟の存続が(秘められたものとはここでは過ぎ去ったものにほかならない)、現存在を偽造し、個人を絶望させ、無政府状態や恐怖状態を勃発させるに至る、ちょうど流刑地の「旧司令官」が死後に実行したように。この司令官は自分が体現する古風な掟に基づいて峻厳で全体主義者であるが(彼は軍人であり、裁判官であり、建築技師であり、化学者であり、製図家である)、ずっと以前に死んで、茶店の敷石の下に埋められていても、ともに病的で気狂いじみた将校と残忍な装置を介して流刑地を戦慄させ続けるのにたいして、自由主義で、軽薄で、無責任な「新司令官」は本来の権力から遠ざかっている。「旅行者」は古い掟の名の下に命ぜられた見世物的処刑に派遣されて、将校の殺害と装置の破壊とを恐れおののきながら目撃する。「古いもの」が本当に廃棄されたのだろうか。いや違う。なぜなら、一般民衆の信ずるところによれば、旧司令官は彼の秩序と正義を再建するために生き返るであろう、というのだから。この考えに恐怖を感じて、『城』の測量師ほど勇敢でない旅行者は、すぐに逃げ出すのである。
 古風な掟の遺物がこれほど不幸な結果を及ぼすのは、個人ばかりでなく、いまのもつ未曾有の新しさに思いつかない社会全体がそうした遺物を見過ごすからにすぎない(たとえば、流刑地のサディスム的狂乱は危機の瞬間を表わす)。その点では、村はKよりもはるかに明晰さに欠けさえする。Kは過去と時ならぬ侵害をかならずしも摘発はしないが、用心して、その批判を決してゆるめない。ところが村の人々は、自分らの属するなんらかの知的、社会的水準に立ちながらも、決して現行の条件との関係において城を判断することはない。彼らの思想の一切が曖昧な、同時に横暴な過去から由来するのであって、彼らは過去の掟を検討もしないで受け入れ、そこから個々の判断を下す。Kの場合には、その不屈の個人主義のため、前例なき状況に直ぐ適用できるような客観的な情報が必要であるが、彼がいたるところで受け取るのは、ただ時効の切れた知らせ(バルナバスの伝言はほこりにまみれた古い手紙である)、《噂》に基づく情報、枝葉末節の、歪められた、しかし世間には強力な力をもつ諸々の伝統にすぎない。しかもその内容は、ほとんど蔭口の寄せ集め以上の価値もない。村じゅうの女が例外なく、彼女ら自身の過去や過ぎ去った事件を(大抵は感傷的に)打ち明けることを通じて、彼に知識を授けようと努める。彼女らの徹底して保守的な精神からすれば、これらの打ち明け話はかならず本当の情報を彼に伝えるはずである。……
 男たちは一見実行力があるように見えても、現在を把握する能力ではほとんど女たちと変りがない。たしかに男たちの話題は、女たちの感傷的な心情吐露とは違うが、同一の時間帯、つまり遠近はともかく過去に関連するものであって、一切がすでに済んでおり、したがって事態や原因が法律上分類され、判断され、あらかじめ周知されているので、現在の特殊事件としての興味はすっかり奪われている。村長からビュルゲルにいたるまで、Kに情報を伝える役人たちはみな、法の力をもつ前例を引合いにだす。彼らから見れば、事件は過去とのつながりにおいてはじめて意味をもつから、このやり方が論理的なのである。したがって個人的な諸問題は重要性も緊急性も持たず、かなり以前から判断済みの問題である。Kは自分の任命の問題が数年前に遡る事実を村長の口から知って驚く(「なにしろ、何年の昔の話ですからね」と村長はいう)。だから、彼が地位につくため村へ来る以前に、問題の決着はついていたわけである。彼の現状における紛糾は、城の年代記において過去と現在がたえずその役を交換するという錯乱によって説明がつく。彼の任命が決定し、公布され、やがて取り消され、ついにどこかの課の書類にまぎれ込み、それからかなり後日になって、彼は招聘されたのである。、自分の権利を要求しに来ていながら、彼は時ならぬ、時代遅れの、年代的にも道徳的にもずれた行動を取ることになる。城の部局にとっては、以前も以後もない。結果が原因に先立ち、決定はその効力の後に続く。それゆえ、事務はたえず分類されて、いつも進行中である。……そのためにKは時間の外に、えせ超時性に置かれ、彼の生存の切実な欲求や彼の人格の復権がもはや下らぬ事柄にすぎなくなる。周知のごとく、城は「古い騎士の城でもなければ、新しく建てた豪華な館でもなく」(村の学校のように、「一時しのぎのものと非常に古いものとの両方の性格が奇妙に混淆している」)、奇怪な混合式の建物であって、個人からその時間の経過を盗み取り、個人の苦しみを気化する。
 城の精神に特有な時間障害から生まれるこのような事態を考えれば、Kの偏執病同然の不信感も全く無理はない。Kは自分の正当な権利が横領され、目に見えない敵に迫害されていると信じて疑わない。村を不当な隷属状態に置いている権力からの攻撃にたいして身を守るためには、解釈以外に最良の武器はない。城の時間障害は言語という特殊な領域にもきわめて悪性な効果を示すからである。役人たちから吹き込まれる談話や伝言は決して現在時には関係ないが、Kにはほかに、自分の生活の指針となってくれるような情報源も掟もないのである。だから、自分に向かって言われる一つ一つの単語を、自分が受け取る伝言を、運次第であるだけにいっそう厳密な注釈に付さなければならない(彼は確実な「暗号」を持たないし、完全な「テキスト」も知らない)。そこから、彼の対談の疑い深い、ほとんど警察的な態度が、とりわけ彼の調査の攻撃的姿勢が生じて来る。」
(マルト・ロベール「最後の使者」)
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