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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<結合 vs. 連結

「社会領野は、それぞれに異なる速度と進展に応じて「群集」に働きかけるような、ありとあらゆる脱コード化と脱領土化の運動によって、絶えず突き動かされている。そこには矛盾ではなく逃走がある。このレベルではすべてが群集の問題なのだ。たとえば十世紀から十四世紀にかけて、脱コード化の要因と脱領土化の速度が高まったことがある。北と東と南に出現した最後の侵略者の群れ。略奪の徒党と化した兵士の群れ。異教徒や異端者の群れにさらされ、しだいに脱領土化の度合いを高めた目的をみずからに課していく聖職者の群れ。領主の地所を離れた農民の群れ。農奴制よりもはるかに領土性の希薄な搾取手段を求めることを強いられた領主の群れ。都市近郊を離れて都市におもむき、しだいに領土化の度合いが小さい施設を見出していく都市居住者の群れ。恋愛と結婚をめぐる古来のコードから離脱した女性の群れ。蓄財の対象であることをやめ、大規模な流通機構に注ぎ込まれる貨幣の群れ。こうした流れを接続し、一つ一つの流れが他のすべての流れを刺激し、加速する例として、十字軍の遠征をあげることができる(「はるか彼方のお姫さま」における女性性の流れや、十三世紀の少年十字軍もそうだ)。しかし、それと同時に、またこれと不可分なものとして、超コード化と再領土化が起きているのだ。十字軍はローマ法王によって超コード化され、領土獲得の目的を割り当てられる。聖地、〈神の平和〉〔中世の教会による非戦闘員に対する戦闘行為禁止令〕、新しいタイプの修道院、新たな貨幣の形態、農地の賃貸と賃金制度による農民搾取の新機軸(あるいは奴隷制度の復活)、都市の再領土化など、さまざまな要素が一体となって複雑なシステムをつくりあげる。この観点からすると、われわれは二つの概念を区別し、流れの連結と流れの接合を導入しなければならない。脱コード化し、脱領土化した複数の流れが刺激し合い、共通の逃走を加速したうえで、その量子を総括あるいは加熱する様態を示すのが「連結」であるとすれば、流れの「接合」があらわしているのは流れの相対的な停止であり、それがいわば集積点となって逃走線をふさぎ修復し、広範な再領土化をおこなうばかりか、さらにはすべての流れをとりまとめ、これを超コード化の力をもつ単一の流れの支配下に置くのである。ところが、いつの場合でも、まさに第一の局面にしたがって極度に脱領土化した流れが、第二の局面にしたがってプロセスの集積や結合をおこない、超コード化を引き起こし、再領土化の基盤として働くのだ(われわれがすでに遭遇した定理によると、再領土化は、必ず最高度に脱領土化した流れの上で起こることになっていた)。たとえば都市の商業ブルジョアジーは、知やテクノロジー、アレンジメントや流通回路を接合し、これを資本に変えるわけだが、貴族も教会も、職人や農民も、すべてその支配下に入っていくことになる。商業ブルジョアジーにこのような全面的再領土化をおこなう力があったのは、彼らが脱領土化の最先端にあって、まさに粒子加速器たりえたからである。」
(ドゥルーズ+ガタリ「ミクロ政治学と切片性」)
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