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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<Kの欲望

「……要するに、欲望の一種の人為的領土性を画していた肖像や写真は、いまは状況と人物の動揺の中心となり、脱領土化の運動を加速する連結器になる。……写真と頭の増殖は、新しい系列を開放し、以前は未踏のものだった領域、無制限の内在性の領野として広がる領域を探索するのである。
 …………
 ある種の系列は特別な項によって構成される。これらの項そのものは、通常の系列において、一系列の最後あるいは別の系列の最初に配置され、諸系列が連鎖し、変形され、増殖する仕方、ひとつの切片が別の切片に付加され、あるいは別の切片から生じる仕方を画定するのである。したがってこれらの特別な系列は、連結器の役割を果たす目覚ましい項からなりたっている。なぜならこれらの項が、それぞれの場合に、内在的領野における欲望の連結を増加させるからである。例えばそれはカフカに付きまとって離れないタイプの若い女性であり、『城』でも『審判』でもKはそういう女性に出会うのだ。この若い女性たちは何らかの切片に結合されているようである。Kが逮捕される前の恋人エルザはあまりにも銀行の切片に密着していて訴訟のことは何もわからず、Kは彼女に会いに行きながら、もはや訴訟のことを考えず、銀行のことしか考えない。洗濯女は、執行官から予審判事にいたる下級役人たちの切片に結ばれているし、レーニは弁護士たちの切片に結ばれている。『城』においてフリーダは、事務員と役人の切片に、オルガは使用人たちの切片に結ばれている。しかしこの若い女性たちがそれぞれの系列においておのおの引き受ける目覚ましい役割のせいで、彼女らは全体として、ある驚異的な、独自に増殖する系列を構成し、この系列はあらゆる切片を貫通し、切片に衝撃を与えるのである。それぞれの女性がいくつかの切片のあいだの転回点になっているばかりか(たとえばレーニは同時に弁護士、被告人ブロックそしてKを撫でまわす)、さらにはそれぞれが、しかじかの切片におけるみずからの観点に応じて、本質的なことと「接触し」、「関係し」、「隣接する」。つまり連続的なものの際限のない勢力としての〈城〉と〈審判〉とともにあるのだ(オルガは言う、「私が城との関係を続けるのは、使用人たちを介してだけではありません。それは私なりの努力があってのこと。(…)この観点から事態をながめるなら、召使や使用人から私が家族のためにお金を受けとることも、たぶん許されることよ」)。だからこの女性たちのそれぞれがKに助力を申し出ることになる。彼女らをかきたてる欲望において、また同じく彼女らが呼び覚ます欲望において、彼女らは、〈裁判〉と〈欲望〉と若い女性あるいは娘が、根底的に同一であることを証明している。若い女性は〈裁判〉に似て原則を欠き、〈運まかせ〉であり、「おまえがやってくれば捕まえ、去るならば放っておく」。『城』に属する村に流布する「ことわざ」によれば、「役所の決定は若い娘のように引っ込み思案だ」。Kは役所のほうに走るイェレミーアスに言うのだ、「フリーダへの欲望に、おまえは急にとりつかれてしまったんだね、僕だって同じさ。だから足並みを合わせて行こう」。Kは猥褻な、あるいは好色な、好奇心にみちた男として弾劾されるかもしれないが、これは裁判そのものの正体でもある。社会的備給そのものがエロティックであり、逆にもっともエロティックな欲望があらゆる政治的社会的備給を実現し、社会野の全体を追求するということを、これ以上よく表現するものはない。そして若い娘や女性の役割は、彼女が切片を裁断し滑走させ、自分がかかわる社会野を逃走させ、無制限の線のうえに、欲望の無制限の方向に社会野を逃走させるときには、きわだったものになる。学生が洗濯女を強姦する際中の法廷の扉で、彼女は、Kも、判事も、傍聴者も、審理そのものもすべて逃走させるのである。レーニは、叔父、弁護士、事務局長が談義をしていた部屋からKを逃がしてやるが、Kは逃げても、ますます訴訟を引きずっていくことになる。勝手口を見つけるのはほとんどいつも若い女性であり、この女性が、遠くにあると思えた場所との隣接性を発覚させ、連続的なものの力能を復活させ、あるいは確立する。『審判』の神父はそのことでKをたしなめる。「あなたは他人の助けに頼りすぎる。特に女の助けに」。
 黒い悲しげな瞳をしたこの種の若い娘とは、いったい何ものなのか。彼女たちの首はむき出しで何もつけていない。彼女たちは呼びかけ、体を摺り寄せ、男の膝に座り、手を取り、撫でまわし撫でまわされ、抱擁し、歯型を残し、逆に残され、男を冒し冒され、ときには窒息させ、叩き、まるで暴君のようであるが、男が去るのを放っておき、あるいは去るように仕組みさえし、追い払い、いつも他の場所に厄介払いする。レーニの指の水かきのようにくっついており、それは〈動物になること〉の痕跡のようだ。しかし彼女らは、もっと特徴的な混合状態を呈する。ある部分では姉妹、別の部分では女中、さらに別の部分では娼婦なのだ。彼女らは夫婦関係や家族関係の対極にある。すでに短編小説において、「変身」の妹は、商品の売り子に雇われ、グレゴール-虫の女中になり、両親が部屋に来るのを邪魔し、毛皮を着た婦人の肖像にグレゴールがあまりにご執心のときだけ、グレゴールに歯向かう(そのときやっと彼女は家族とよりをもどし、同時にグレゴールの死を決断する)。「ある戦いの記録」において、すべては女中のアネットから始まる。「田舎医者」においては馬丁が、うら若い女中ローザに飛びつき、同じく『審判』の学生は洗濯女に飛びついて、頬に二つの歯列のあとをつけるが、一方で妹は、兄の横腹に致命的な傷を見出すのである。しかしこれらの若い女性たちは長編小説において発展するのが見られる。『アメリカ』において、Kを冒すのは女中であり、彼女がきっかけで、最初の脱領土化としてKは追放されるのである。……それから、あだっぽい、あいまいな、暴君的なタイプの娘が、Kに柔道の組手をしかけるが、これは叔父との絶縁の瞬間のことであり、主人公に第二の脱領土化をもたらすのだ(『城』においてはフリーダ自身が直接に絶交を決めるのだが、それは単なる嫉妬ではなく、法の審判によってKの重大な不貞を訴えた結果である。なぜならKは、オルガとの「接触」をあてにし、オルガの切片にしたがうことを選んだからである)。『審判』と『城』は、このような女性たちを増殖させていくが、彼女らは、姉妹、女中、娼婦の特性を、さまざまな身分において集積している。オルガは城の使用人たちの娼婦である、等々。マイナーな人物たちのマイナーな特性は、意図的にマイナーであろうとし、そこから転覆の力を引き出そうとする文学のもくろみのなかにある。」
(ドゥルーズ+ガタリ『カフカ──マイナー文学のために』)
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