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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<最後の観光

「夜、雪道での襲撃。いろいろなイメージが錯綜する。例えばこんなふうに。この世界におけるぼくの境遇は恐るべきものだ。ここシュピンドラーミューレにたった一人いて、しかも、闇と雪のなかに絶えず足を踏み迷う見棄てられた道の上にいて、さらに言えば、地上のどこにもたどり着かない無意味な道の上にいて(それは橋に通じるのか? なぜそこに? 大体ぼくは一度も橋にたどり着いたことはない)。その上ぼく自身もこの場所に見棄てられている(医者がぼく個人にとっての救いだとは思えない。ぼくは自分の人徳で医者を獲得したわけではない。結局、彼とは報酬を支払うだけの関係でしかないのだ)。ぼくはだれかと知り合いになる能力もなく、何かの付き合いを耐え通すこともできず、楽しげな世間や、子供連れの親たちを前に、限りなく驚いている(ただしここのホテルの賑やかさは大したことはない。それはぼくが〈あまりにも暗い影を背負った男〉だからであって、ぼくがその元凶なのだ、とまでは言うまい。しかしこの世でのぼくの影は事実あまりにも暗すぎる。だが、この影のなかでさえ、いやまさにそのなかでこそ、〈何としてでも〉生きようとする多くの人びとの粘り強さを、ぼくは新たな驚嘆の目をもって眺めるのである。しかしここには、まださらに語るべき別のことが付け加わる)。しかも、ぼくが見棄てられているのはここのみに限らず、いたるところ、いやぼくの〈故郷〉プラークですらそうであり、それも単に人びとから見棄てられているだけではなく──それだけならまだ最悪というわけではないし、ぼくは生きている限り彼らのあとを追いかけることもできよう──、そうではなく、人びとと関わるぼく自身から、人びとと関わるぼくの力から見棄てられているのだ。ぼくは愛してくれる人びとに感謝している。しかしぼくには愛することはできない。ぼくはあまりにも遠いところに締め出されている。それでもぼくは人間であり、根が養分を欲している以上、ぼくはあの〈下方〉に(あるいは高みに)、ぼくの分身たち、哀れで不充分な道化役者たちを抱えることになる。ただし、ぼくの主な養分が他の大気中の、他の根からきているという、ただそれだけの理由によって、ぼくには彼らで充分なのだ(実際はいかなる意味においても充分ではなく、だからこそぼくは見棄てられているのだが)。これらの他の根も哀れな代物だが、それでも生命をつなぐことはできるのである。
 こうしたことがさまざまなイメージの錯綜へと導く。もしすべてが雪の路上で見えたとおりであったなら、恐るべきことだろう。ぼくはそれを脅迫としてではなく即時の処刑として理解して、破滅してしまったかもしれない。しかし、ぼくは他処にいる。人びとの世界の誘引力はまことにもの凄く、ある瞬間にはすべてを忘れさせることさえできる。だが、ぼくの世界の誘引力も大きい。ぼくを愛してくれる人びとがなぜ愛するかといえば、ぼくが〈見棄てられている〉がゆえなのだが、それは、ぼくがヴァイス氏〔エルンスト・ヴァイス。カフカと親交のあった作家〕の真空のように見棄てられているのではなく、ぼくがこの世界では完全に欠いている行動の自由を、幸福な時期には、他の次元で手にしていることを、おそらく彼らが感じ取っているからなのだ。」
(フランツ・カフカ『日記(一九二二年一月二十九日)』)
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