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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<言葉でしか捉えられないイメージ

「おどろくべきことは、カフカのような、わかりやすくいえば抽象的傾向の作品を書いた作家が、全くイメージでもって考え、発想していたということです。一口でいうと、カフカは理窟で書いてはいないし、彼独特の「精神構造」を頼りにはしていなくて、イメージそのものの統合と処理、イメージそのものの自律的な動きのなかで整理したと思われることです。
 おそらく『城』の場景には、彼が病気保養のためにすごした、ある部落の印象が潜在しているのでしょう。そういえるほぼ確実なデータさえあります。それから彼はユダヤ人として、どの国からも追い出される民族的実感をもっていたでしょう。それから、神と彼との関係、すなわち、気になり、求め、つかまえられる存在である神との関係、あるいは病気との関係、そうしたありとあらゆるものが、一つの心棒をめぐる堅固なイメージとなって『城』の場面の展開を生み出したことも想像に難くはありません。
 しかし、とにかく彼はイメージでとらえたということが、彼が作家として表現し得たという結果を導いたことは事実です。そのために彼は渾沌とした厚みのある世界を、描くことが出来たのです。
 カフカの「精神構造」は「自らが離れることが出来ないために、相手につかまえられる結果になる。そうしてやっかい者となる。やっかい者となってはいるが、逃れられない。そうである以上、遍歴して一々その事実を確認してやる。それをしてもおなじことで、結局は殺される。殺される前に自らが殺される態勢へもって行く。何をしてもおなじことで、結局死ぬ。そしてそのことは最初、離れられぬ、と思った時に既にわかっていた」。
 これはどの作品においても全体の構造が、すなわち、直接この構造そのものであり、どんな部分を抽き出してみても、またその部分が、また(引用文をよく読んでいただけばわかりますが)この構造そのものでもある、といったふしぎな事実に気がつきます。しかもくりかえしますが、彼本人は、イメージでつかんでいたということを忘れてはならないのです。」
(小島信夫「思想と表現」)
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